2007年06月03日

お知らせ

 当ブログ、2ヶ月半のお休みをしていました。
 このブログは多分に、私の所属する会社の部下を意識して、メッセージも込めながらかつ個人的な思いも織り交ぜて書いていました。
 しかし、ブログというツール上、社内の内部情報に関わるものは御法度であるし、また、個人的なページではあるが、著作権についてもかなりのレベルで考慮しなければならないということもあり、書けないものも多々ありました。

 そこで、それらを気にせずに書けるようにと、先般より、社内のノーツのフォーラムに移行しておりました。
 その結果、2ヶ月半のお休みとなったわけです。

 社内のフォーラムにアップしているものとは別の観点での記事があれば、この場で記事を書いてみたいともおもいますので、気長におつきあい願います。
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2007年03月17日

弱体化する生物、日本人

(著者:大野裕 出版社名:講談社)


 著者は慶應医学部精神科の先生であることから、メンタルヘルス関係の書籍と思い読んでみたところ、その類ではなかった。しかし、日本人の特性と現代社会の安易な欧米化に対する問題点について、科学的根拠に基づき分析しており、社会学的に見ても興味深い。
 
*    *    *

 
 性格は、環境によって決まるものではなく、遺伝によるところが大きいということが最近の医学研究で明らかになってきており、たとえば、脳のアクセルとブレーキの役目をしているドパーミンとセロトニンといった神経伝達物質が、人間の行動に影響を与えているとのこと。


 そのドーパミンやセロトニンを伝達する遺伝子が、人種間で大きく異なるそうです。日本人が、人前であがりやすいとか、また不安が強いというのも、それらによるところが大きいと考えられる。

 不安なことに正面から向き合わず、つい目を背け仮想現実に逃げ出してしまう私たち。また、なにか問題が起こるとすぐに犯人探しする。そうしないと不安でたまらないからである。そのことも日本人に多い脳内物質パターンと関係があるらしい。
 

 それらの遺伝的な影響を受けながら、人間は自分にあった環境を自分が作りだしていると考えられる。日本人の集団思考的といわれる行動パターンはその典型。
 しかしこのことでもって日本人が本質的に集団形成傾向があることを意味しているのではなく、むしろ日本人は個人主義的な傾向が強いからこそ、集団性を強調していないと集団を維持できなくなるおそれがあるからである。
 日本人は一般に、家庭や職場で親しい他の人たちと集団で生活する中で、自分を確認しながら生きている、他の人たちに映し出される自分を見て自分を再確認しているのである。

 
 非常に厳しい格差社会であるアメリカに対し、日本はそれほど極端ではなく、平均化された社会が創り出されてきた。が、このことはアメリカ以上に日本が思いやりを基盤にした社会であるということではない。経済的、社会的に均一化することでで、直接的な衝突を避けられストレスも少なくて済む。私たちは意識しないまま、不安をあまり感じなくてすむ社会を作り上げてきた。
 

 競争原理の導入により、そのような保護的な環境を失った日本人の不安は高まるが、その不安をうち消そうとする手だての一つとして、「自分の世界に引きこもる」ようになる。携帯電話やヘッドホンステレオといった電子機器がそれらを加速させている。電車の中でそれらを使うことで、自分の世界にいつでも引きこもることができるのである。
 そして、それらのために社会的な能力や精神的な能力は確実に退化していき、ますます意識の中から、現実の世界を排除し仮想世界に対比するという悪循環が生まれる。 

*    *    *

 そのように、科学的な精神医学の観点から現代社会や家庭のあり方に警鐘を鳴らすとともに、随所にそれへの対処についてヒントとなるものも述べている。あくまで科学的な切り口であるところに説得性がある書であった。
 この書は現在絶版となっており、図書館でしか手に入らないのが残念である。


以上

 
 
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2007年03月10日

リアクタンス効果

 リアクタンスと言うと、電気屋の私としては「角速度ω(オメガ)×インダクタンスL」と考えてしまうが、今回はちょっと違った話を。
 電気回路のリアクタンスも、平たく言えば「掛かる圧力(電圧)に対して反応するもの」いうものであり、今から言うところのリアクタンス効果とまったく違うものというのではないが・・・。


 リアクタンス効果とは心理学用語で「人は自分の自由な選択が制限されようとしているときに、それに反発するような心理的抵抗を覚えやすい」のいうものらしい。 

 わかりやすく言うと、
 人は、他人から「こうしろ、ああしろ」と指示・命令されたことは、心理的にあまり「やりたい」と言う気持ちにはなれず、反対に、他人から「こうするな、ああするな」と言われたことは、妙にやってみたいと思ってしまったりするということ。


 これを組織目標という面から考えると、
 組織としての大きな目標を達成するためには、小さな目標として個人の目標を社員が自主的に考え設定し、その上で、その目標を達成するために何をしたらいかを自主的に考えていく。そうすることで初めて、社員のやる気が高まる。あくまで、自主的に、と言うところがミソ。


 そのように、組織が社員を、また上司が部下の能力を最大限引き出すためには、このリアクタンス効果というものを考えて、頭ごなしに圧力をかけるなんていうことは慎まなければならないと思う。


 しかし、逆に部下が上司をコントロールしたい場合にも、このリアクタンス効果の逆手をとって、うまく立ち回れることができるかもしれない。

 と言うのも、例えば部下が「立て板に水」方式で完璧なプレゼンを行ったらその上司はどう思うか。すばらしいと思うこともあるが、担当者のペースであまりにも完璧に順調に進み過ぎ、自分の自由な選択が制限されてると感じて、リアクタンス効果が起こりかねない。
 つまり、100%ではなく80%のプレゼンの方が、上司は残り20%を指導したとうことで満足感を得ることができるというのである。


 でも、上司の前で80%を狙って、あえて上司に「パズルの最後のピース」を入れさせるようなことができれば相当な上級者といえるだろうが、現実には80%を狙って80%をとれる人間はなかなかいるものではない。
 まあ、策におぼれず、まずは愚直に全力投球すべきというところか。


 

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2007年03月03日

もう一つのピークオイル論

 昨年ピークオイル論ということばが世間をにぎわしていたが、ここにきてすっかり聞かなくなった。これは、ピークオイル論自身が、資源論的には本質ではなくかなりアジテーションな見方に傾いた異端な説であることを皆が感じ取っているからだろう。私自身も、純粋な資源問題として当面の間ピークオイルは発生しないだろうと感じている。

 しかし、気になることがないわけではない。昨年、今年と重電メーカーの工場を見学させていただく機会があったのだが、そこで見たものは、自由化にさらされるとともに電力需要の伸び悩みに苦しんでいる国内電力会社向けの製品ではない。ここ彼処に中近東向けの製品が所狭しと並んでいるのである。聞くと、かなりのバックオーダーも抱えているらしい。

 つまり、中近東の石油産出国が、使い切れないくらいの莫大なオイルマネーをとりあえずは社会インフラの充実・整備に、と使っているのである。ここまで金あまりがひどいと、彼らの政策は、ひとまず「石油資源の温存」の方向に向かうだろうことは想像に難くない。

 一方のメジャー。彼らも莫大な利益を上げながらも、現状の原油高がファンダメンタルズに裏打ちされたものでないことを承知しており、その結果、期せずして得た利益は、現時点で行うと高止まりになる可能性のある新たな開発契約等に再投資するのではなく、今風に株主還元、経営者報酬に回しているようである。

 
 原油開発は、巨額でかつ長期間を要するものである。足らなくなってから腰を上げて間に合うものではない。
 このまま、このような状態を続けていくとどうなるか。資源論としてではなく政策論として、ピークオイル論が現実化してくる危険性も否定できない。


 そういった意味で、日本エネルギー経済研究所の十市氏が述べている『ピークオイルの議論は自己実現性がある。(何もせずマーケットに任せて供給がのびると言うことはない。)』と言っていた言葉が妙にリアリティをおびている。
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2007年03月01日

風通しのよい職場とは

 職場の年度目標や業務計画において必ずと言ってよいほど出てくる言葉に「風通しのよい職場づくり」というものがある。

 「風通しのよい職場」。風が通るがごとくに、何でも言い合えて、悪い情報も良い情報もすぐに伝わるといった、比喩としては的を射たフレーズであると思う。
 しかしながら、企業は詩文遊びで組織運営をしているわけではないので、「風通しのよい職場」の正確な定義が必要ではないかと感じていた。

 にもかかわらず、いろいろな企業や職場の計画等を見ても「風通しのよい職場づくり」に関して、具体的な展開施策は述べているものの、それ自身の定義付けを行っているものは私の知っている範囲では皆無である。

 そんななか、先日ある方のお話の中で「属人思考」という言葉を聞いた。
 「属人思考」。聞き慣れない言葉であるが、判断や意思決定においてそのことの「事柄」自体ではなく、だれが言ったかという「人」を重視する思想であるそうだ。

 「属人思想」の強い組織ほど企業不祥事が多い。また、組織の下のものは自分の組織を「属人思想」が強い組織であると感じており、上に行くほど自分は「属人思想」が弱いと自己分析しているそうである。なるほど、ありそうなことである。

 「属人思想」について詳しいことは知らないが、「風通しのよい職場づくり」をきちんとした形で定義するために、この「属人思想からの脱却」ということが大きなヒントになるような気がした。


 少なくとも「風通しのよい」とか、また今回のこととは関係ないが「地球にやさしい」とかといったものも含めて、ともすれば叙情詩的で、物事の神髄を見えにくくする比喩には、十分な注意が必要である。

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2007年02月19日

不作為の集団を創り出すもの

 私は、仕事上100人を超える部下を抱える組織の長という役割を担っており、組織力というものを考えさせられる機会が多い。
 私の組織は、様々な専門分野を抱えた混在組織であるため、私自身すべての業務に精通している訳ではない。したがって、リーダーとしての私の役割は、業務上の具体的な「指導」ではなく、組織を「先導」していくことではないかと考えている。

 

 これは、そもそも「リーダー」という英語自体の本来の訳でもあるのではないだろうか。先人が、「リーダー」という言葉を日本語に訳するときに「先導者」ではなく「指導者」としているだけではないだろうか。
 ある時ふとそう思ったとたん、肩肘張って突っ張っていた自分が、ふっと肩の余分な力がとれて素直になれた気がした。

 
 そのような目で組織力というものを改めて考えると、一番大切なことは、組織を構成する一人ひとりの力を最大限に発揮しそれを有機的に結びつけるということが何より大切ではないだろうかと思う。
 
 では、一人ひとりが能力を最大限に発揮するためには何が必要なのだろうか。

 逆説的な話になるが、それらを阻害する大きな要因の一つに、「何もしないことが一番楽である」と気持ちに組織のみんなが思ってしまうということがある。

 よかれと思ってしたことであるにもかかわらず、取るに足らない問題が発生しただけで 頭ごなしに怒る。自分ではうまくできたと感じているのに、上長の思いとほんの少しずれているだけで全く評価されなず、ともすればマイナス評価を下してしまう。
 そんなことを続けていたらどうなるだろうか。どうせ怒られるのならば何もしない方がマシ、そう思うのが当然の帰結である。そうなれば、組織全体が不作為の集団と化してしまう。いくら「指導力」のあるリーダーがいてもそれでは、組織力の発揮は全く望めなるはずがない。

 
 組織の「先導者」として自戒の念も込めて、そのようなことにはならないよう注意していきたいと思う。
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2007年02月10日

情報の大切さ

 織田信長の有名な戦いの一つに桶狭間の戦がある。
 これは駿河の戦国大名である今川義元が大群を率いて尾張に侵攻。尾張の大名織田信長が10分の1とも言われる軍勢で今川を討ち取った有名な話。

 1560年(永禄3年)旧暦で5月19日。このとき今川勢25000人。対する織田勢2500人。通常なら織田軍が勝つことはあり得ない。

 事実、あさの4時からそれぞれが出陣したのだが、9時ころには、今川勢が織田勢の砦を陥落させた。それを見ていた地元の豪族、地主、神主、住職等実力者たちはこぞって今川に、酒、肴を貢いできた。
今川もそれらを持ち歩いて戦をするわけにもいけないし、勝っているという慢心もあったのか、当時の風習では、一日2食が常識だったにも係わらず、戦の最中になんと、桶狭間で皆が昼食をとったらしい。


 そこを、織田勢に急襲され、破れたわけだけど、一番やりは、服部小平太。首を取ったのは毛利新助。当時は、論功行賞は首を取ったものがもらうというのが常識。だから、敵の武将を討ち取ったら必ず首を腰にぶら下げて帰ると言うことをしていた。
 が、このとき信長が論功行賞として3千貫の所領を与えたのは、服部でも毛利でもなく、今川勢の居場所、動向を探ってきた梁田政綱だった。

 信長は「戦は情報戦だだから、情報を与えたものが第一の功労者だ」といったそうである。
400年以上も前のことであるが、情報の大切さということでは、現代に通ずるものがある。

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2007年02月04日

胡錦濤の台湾政策

 先日、中国胡錦濤国家主席の外交・国内政策について書いたが、今日は台湾政策、いわゆる両岸関係について考えてみる。


 胡錦濤が党・国家・軍の権限を掌握した2005年に、全人代は「台湾独立」等の事態が発生した際の「非平和的方法」の行使を義務付けた「反国家分裂法」を採択し、アメリカ、日本、EU等の各国が懸念を表明した。そのようなことから、和諧社会をキーワードとする胡錦濤も、こと台湾問題に関しては江沢民と同じなのだろうと漠然と考えていた。


 が最近、ある演説が注目を集めていることを知った。今年の胡錦濤の元旦演説の中で台湾統一を呼びかけるくだりにおいて、昨年の演説にあった「『台湾独立』の分裂活動への反対では決して妥協しない」という一文が抜け落ちていたことである。

 このことだけをもって、胡錦濤の台湾政策を判断することはできないが、中国は、08年の台湾総統選挙を見据えて、次期政権を担うであろう野党国民党との交流を着実に展開している。

 1世紀に渡って中国大陸と切り離されてきた台湾であるが、彼らの中に流れている血は明らかに中国のそれとである。起業精神の旺盛な台湾人とどん欲なまでに積極的な中国人。政治体制を越えて特にビジネスの世界においては、すでに似たもの同士ともいえる。共産主義という国家主導型の資本主義が今後うまく軌道に乗ることができるならば、中国と台湾は必然的により近しい関係にならざるを得ない。

 今回の一連の流れは、それを見据えての胡錦濤の布石とも言えるのではないだろうか。中国三千年の歴史というが、やはりその深慮遠謀には舌を巻くものがある。

 一方の台湾の陳水扁総統。陳は台湾人のナショナリズムを鼓舞することで政権維持を図るかのごとく独立志向色を鮮明化しているが、どこかの国の盧武鉉とよく似ている。アメリカブッシュを含めて血迷えるレイムダックは手に負えない。
 

 ここで気になることがある。台湾の人たちの中国人としての意識がいかほどか。自分たちは中国人でないと思っているからこそか、それとも中国人であるが故の呪縛からの解放としてか。そのどちらの意識で独立を願っているのかは、私にはわからない。
 しかし、中央との距離に反比例して文明度が低くなるという中華思想の下、辺境の小島として扱われていた清の時代を経た後、19世紀末日本が日清戦争に勝利し統治権を獲得。以来約1世紀、台湾の人たちにすでに独自のアイデンティティが形成されていることは間違いはないだろう。それにどう対処していくのか、来年の台湾総統選挙後の胡錦濤の一手が気になるところだ。


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2007年01月31日

付け焼き刃ブレイド

 トヨタがついにやりました。究極の双子車の発売、オーリスとブレイド。
以前もトヨタは、カローラとスプリンター、コロナとカリーナ、マーク2とチェイサー、クレスタといった双子車を販売していたが、今回はちょっと違う。


 オーリスが1.5lと1.8lで162万円から高いものでも206万円。
 一方のブレイドは一番安いものでも191万円、高いものになると277万円。ちょっとオプションを付けるとすぐに300万円をオーバーする。明らかにヨーロッパコンパクトをターゲットにしているのがわかるが、いくら豪華装備を付けたからといってベース車種の2倍近い価格は「どうかしてるんじゃない」と言いたくなる。


 トヨタは、以前指摘したように、日産ティーダやマツダアクセラのような大人が乗るコンパクトカーが存在しなかった。お金持ちの大人たちは高級大型車を買ってトヨタの利益に寄与しなさいということである。したがって、お金はあるが大型の車はちょっとイヤといったものは、他のメーカの車種やヨーロッパコンパクトに流れてしまい、トヨタはほぞをかんでいたのであるが、ここにきてオーリスを発売。

 普通のメーカなら、オーリスで小金持ちの大人を呼び止めるという作戦を採るはずであるが、そこは三河商人まるだしのトヨタ。オーリスごときでは小金持ちのお金をすべて吸い取ることはできないと考え、急遽それの豪華版であるブレイドを作ったのである。これにより、ティーダやアクセラのみならずゴルフなどヨーロッパコンパクトに流れかねないこれから退職を迎える段階の世代に、一気に網をかけようという魂胆なのである。
 MBA的には100点満点のビジネスかも知れないが、あまりに付け焼き刃の商売。いかにもブレイド(刃)の名前のとおりである。


 ブレイドのテレビコマーシャルのバックに流れる井上陽水の「Make−up Shadow」。大人の良い歌であり、ブレイドの雰囲気を高めようとしているのだが、よく聞くと不自然なフェードアウトが掛かっている。そんなところにも付け焼き刃の跡が見てとれる。 
 
PS:以前私が住んでいた町のラーメン屋に「いい分」「うまい分」という二種類のラーメンを出す店があった。麺も出汁も同じなんだけど、上に乗せる具が違うのである。当然値段の高い方が「いい分」。でも本当においしいのは具と麺と出汁がマッチングした安い方のラーメン。店屋もそれを知っていてそちらの方を「うまい分」と称している。
 それから考えると、「ブレイド」も具にやたら高級品を乗せただけの「いい分」でしかなく、本当に旨いのは「オーリス」なのかも知れない。

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2007年01月28日

原子力関連報道の逆検閲

 脱原子力政策を進めるドイツ。そのドイツにおいて、今月始めに大衆紙「ビルド」が実施した世論調査の結果、代替エネルギーのめどが十分でないまま「原子力発電を廃止するのは是認できない」とする回答が61%に達した。

 ドイツでは、1998年に成立した社会民主党(SPD)と緑の党の連立政権により、脱原子力政策が推進され、2002年には原子力法が改正。
 原子炉の漸次閉鎖、原子炉新規建設の禁止、使用済燃料の再処理の終結といった事項が法的に規定され、それにに基づき2基の原子炉がすでに閉鎖されている。

 それらの状況は日本のマスコミも、先進的で環境に配慮した英断であるとのスタンスで大々的に報道していた。しかもそれらは、ドイツの電力の多くをフランスの原子力発電からの融通でまかなっているというレトリックを巧みに隠したものであった。

 その後、原子力推進派のメルケル政権が誕生したのだが、前政権が再生可能エネルギー拡充と省エネに注力したにもかかわらず再生可能エネルギーのコスト高や、電力消費量の増加傾向が続いていることなどから、エネルギー源の選択肢としての原子力に言及しつつあった。

 そこの辺りから、日本のマスコミは、だんだんと無口になってきて、それらの情報を積極的に報道しなくなってきた。

 そのような中、近年のロシアの石油、天然ガスをめぐる情勢不安も重なり、冒頭の世論調査結果となったのである。
 ドイツにおいて国民自身が脱原子力にノーといったのである。それにもかかわらず、日本のマスコミは沈黙を通して、このことを報道しようとしない。

 反原子力のことなら、たとえ小さくても、出所が少々怪しげであってもご丁寧に報道しているにもかかわらずにである。自分の主義と相容れないものはたとえ真実でも報道しないらしい。

 自分に都合の良い発言を頼んだ文科省のタウンミーティングのやらせ事件なんかよりも、自分に都合の悪いことは報道しない知らせないという今回のマスコミの姿勢の方が、はるかに悪質で危険なものであると感じる。

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2007年01月27日

誕生日プレゼント

 先週、私の50歳の誕生日を迎えた。単身赴任中ということもあって、妻からお祝いのメールがあっただけの、静かな半世紀めであった。

 ちょうどその日は、直営技術分担の若いものの今年度最後の現場作業研修視察のため、出張中であった。この研修は2年間の予定で行っているのだが、現在のメンバーは昨年3月の開始以来、約半分の1年が経過したところである。最初は大いにぎこちなさのある彼らであったが、今回の作業では成長のあとが随所に見られ、非常にうれしさを感じることができた。

 
 昔で言うならば「人生50年」という大きな節目を迎えて、「50歳になったので、映画の夫婦50割引を悪用して若い子を映画館の前でナンパしたら?」という妻からのちょっとふざけたメールよりも、またスナックで午前零時にハッピバースディの歌とともにもらったバラの花束よりも、次の時代を担う若いものの成長を見られたことが、正直一番の誕生日プレゼントであったような気がした。 
posted by ネプチューン at 13:30| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム(日記・雑感) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月19日

胡錦濤の外交・国内政策の転換

 反日・愛国を前面に押し立てていた江沢民の後を引き継いだ胡錦濤中国国家主席。その中国、昨年10月の安部総理大臣の訪中受け入れの前後から、内政、外交に関して様々な変化が見て取れる。


 まず、外交面。冒頭に述べた10月の訪中。当初は、タカ派を自任しながらも腰砕けの安部氏を見透かして、それを取り込む中国の作戦かとも思ったのだが、どうやらそこまで穿った見方をする必要はなさそうだ。ある程度は素直に、日本との関係改善に向けた中国側のサインと見て良いだろう。


 先日、中国政府が国内のマスコミに対し、海外の出来事を間違ったかたちで報道をしないようにとの注意をしたとの新聞記事がでていた。つまり、例えば「韓国が日本車を買わないのは愛国反日のため」との報道を中国国内ではしていたが、そうではなく「純粋に韓国車が信頼性が高く安いからだ」との報道をするべきだとの主旨だった。中東における帝国主義的アメリカ観についての報道も間違いとの指摘もしている。
 つまりこれは、中国国内における反日反米意識の改善を図っているともとれる。これからすると、やはり今後の中国の、日本を含めた西側先進国との関係について外交政策に何らかの方針転換があるのではないかと考えられる。



 一方の国内政策。昨年9月に江沢民の拠点である上海市トップ陳良宇の逮捕に続き北京市のトップの解任。中国では、経済の自由化を背景に党内の一部が私利私欲に走り「特殊利益集団」と化しており、それに対する「反腐敗」を大義名分とした権力闘争との見方もあるが、いずれにしても、既得権層からの猛反発を受けながら、ここまで強力な闘いをしている背景には「21世紀の世界における中国」というものを彼なりに見据えての行動のような気がする。

 これらのことは、マスコミにもあまり大きく取り上げられてないため、どのように読みとったらよいのか計りかねるところではあるが、逆にこれらが沈黙のなかで粛々と進められていることに、大きなうねりを感じさせる。

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2007年01月14日

30年間の勘違い

 中古車とはいえ11年ぶりの入れ替えなので色々と感じることも多いので、今回も車ねた。

 ディーゼル1BOXを下取りに出して手に入れた、中古のゴルフワゴン。今のところは快調そのものである。
 私は現在単身赴任をしてるため、高速道路の利用が多い。そこで気が付いた点をがある。

 免許を取って30年。あまり高級な車ではないが、いままで1.6〜1.8L級の中型セダン3台、1〜1.3L級コンパクトカー2台、軽自動車1台、1BOX2台と結構いろいろな車に乗ってきた。
 その中で一貫して思っていたことがあったんだけど、、今回それが勘違いだったことに気が付いた。

 それは、高速走行における車の安定性、ゆったり感というものは、その車の排気量であるとか、室内空間であるとか、ホイールベースであるとか、いわゆる車格や大きさによるのではないかと思っていたことである。多少の足回りの善し悪しなどは、ハードな運転をしない限り関係ないと思っていた。


 しかしこの1ヶ月間、ゴルフワゴンに乗ってみて考えを新たにした。ご承知の通り、この車は3ナンバーではあるもののコンパクトカーのたぐいであり、大きくもないし取り立ててスポーティな車ではない。


 しかし、高速道路を走ってみると、ぴたっと安定する。ホイールベースが2500mmほどしかない車とは思えない。

 ステアリングも高速道路が50km制限するような横風時にも、今までの車のように遊びの範囲で当て舵をしながら直進させるといった操作が不要であり、単に行きたい方向にハンドルを向けているだけでよい。トラックで掘られたわだちに足を取られる感触も少ない。
 以前の車が1BOXだったせいもあり、私はスピードはあまり出さないほうだけれども、ずいぶんと気疲れが違う。こんな小さな車で高速道路をここまで安心して走れるとは思っていなかった。運転免許をとってから30年間の勘違いであった。
 
 アウトバーンの国ドイツの車ではあるが、ゴルフはCセグメントに属する大衆車であることから、あまり期待はしていなかったが、やはり、大衆車といえども高速での操縦性、安定性にはかなり気を遣っているのだろう。このあたりは日本車と大きく違う感じだ。車に何を求め何をどこまで切り捨てるのかといった設計思想が根本違うのではないかとも思う。高速や郊外の道路での使用の多い私には、今のところうまくマッチングしているようだ。
 
 
 
(PS)
 ブレーキも吸い付くような感じで効きはいい。今までの車の感触で踏んでいると、思っている位置よりかなり手前で止まってまう。
 
 ただし、踏み心地については好き嫌いがありそうだ。日本車のような遊びの部分をすぎたらペダルは一定の深さでそれ以上動かず後は踏む圧力でブレーキの強さをコントロールするのではなく、踏み代の深さでブレーキの強さを調整する感覚だ。

 実際はそんなことはないのだが、強く踏むとひょっとして床まで抜けるのだろうかなどと思ってしまうこともある。ブレーキサーボの特性か、油圧配管の剛性不足か、パッドが柔らかいのかなど原因はよくは分からないが、これは、ほかのゴルフに乗ったときも同じ感触だったので、私の車のトラブルというのではなさそうだが、若干の違和感がある。
 
 

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2007年01月08日

坊ちゃん劇場

 昨年4月、愛媛県東温市に誕生した坊ちゃん劇場。西日本初の地域文化発信の常設劇場である。
 正月に帰っていた子孫たちが去って寂しそうにしていた母を連れだし昨日行ってみた。


 普通、劇場とかホールとかというと思い浮かぶのが典型的な箱物行政?と言うことであるが、この坊ちゃん劇場はそれとは全く違っていた。行政の全面的なバックアップはあるものの、地元企業と秋田県の劇団「わらび座」の共同出資でできた劇場だ。


 実際に、劇場に足を運んでみて改めて、お上のやるものと民間のやるものがここまで違うのかと感じた。
 予約の電話を入れた際その対応が的確丁寧であったことや、会場における接客についても年老いた母への対応等好感の持てるものがあった。公共の劇場ではここまでの気遣いを受けたことはなかった。


 出し物は、松山ゆかりの小説「坊ちゃん」を生徒の目線から描いたミュージカルであり、予想のほかおもしろかったし、私は専門家ではないがかなり完成度も高いとの印象も受けた。
 この「坊ちゃん」は劇場オープン以来約一年にわたるロングランであり、今年4月からは「我が輩は狸である」と題したミュージカルに変わるらしい。


 とはいえ気になることもある。今、松山は坂の上の雲を題材にした町おこしをしていることもあって、やたらレトロ調を重視した町づくりをしているようにも見える。この坊ちゃん劇場も、講演題目を見る限りその例外ではない。
 地域文化の発信を銘打つならば、新たな文化の創造にもぜひ挑戦してもらいたい。そうでなければ、単なる懐古趣味に終わってしまう危険性がある。
 この坊ちゃん劇場が画期的な挑戦であるだけに、今後とも応援していきたいと思うが、その点が気になるところである

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2006年12月26日

中古車保険

 今回、フォルクスワーゲン社の中古小型車(ゴルフワゴン)の購入にあたって、輸入車の中古ということで、信頼性、耐久性について心配があった。
 したがって、まず町中の中古専門店はたとえ価格が安くとも、保証があまり充実していないことから除外。
 正規代理店であるフォルクスワーゲンジャパンが信頼性の面からは良いと思うのだが、価格は高め。


 と言うことで、結果として購入店として選んだのが、同じく正規代理店であるDOUの販売店の親会社となっている地元のトヨタ販売店。ここだと、DUOの親会社ということで、あとあと専門的なアフターが必要な場合にもDUOのメンテを受けやすい。近頃の車は専門のテスターがないと車の状態の診断すら出来ないためだ。


 また、価格が正規代理店よりも安いし、何より3年保証が付く。中古車の保証というものは、いろいろと資料を見てみるとなかなかのくせ者。業者によってまちまちである。

 まず正規代理店のフォルクスワーゲンジャパン。基本となる1年保証、これは元の販売代金に含まれている。ここのところは、どこの業者も同じ。その先の有料の延長保証が1年しかないし、その保険料金も4年半落ちの車だと7万円以上かかるようだ。
 この保険料の設定は、引き受けた損保のプロがデータから計算したものだろうが、やはり高い。それと延長期間が1年しかないのが不満であるが、長期間の保証を付けることのリスクが大きいとの判断だろう。
 また定かではないが、フォルクスワーゲンジャパンでは引き受け保険会社が赤字になったため、新車の延長保証制度も無しになったとの話も聞いたような気がする。それくらい故障リスクが高いということだろう。 



 それに比べて、トヨタの中古車の保険システムはユーザーにとって有利な条件である。まず、延長保証期間が2年であること。基本保証期間と合わせて3年の保証が得られることは心理的に安心感が増す。加えて、国産、輸入車の別なく保険料金が同じである。このことは輸入車の故障リスクの高さを考えると、データを見るまでもなく、輸入中古車にとってすこぶる有利な条件である。

 ちなみに、日産も同じように基本1年、延長2年の合計3年の保証があるものの、国産車と輸入車の保険料金を違えており、両者の間には数倍もの開きがあるり、4年半落ちの輸入車だと15万円を超える。たぶんこれが、故障率の差の実態だろう。

 また、もう一つトヨタの保証の有利な点であるが、年数管理を、経過年数ではなく、初回登録年での管理としている点である。H18年12月時点で14年1月登録車、つまり経過年月では4年超過(4年11ヶ月)していても4年車として取り扱うため保険料金が2万円強と安めになるため、2回目車検前の放出車をゲットするのには非常に都合がいい。


 そんなことから、トヨタの販売店での購入となったわけであるが、トヨタにしても保証の範囲については当然、消耗品や車の機能に直接関係ない外装等については、対象外である。
 というわけで、バッテリー、タイヤ、オイルフィルター等消耗品の取替と、フォルクスワーゲンの持病である窓落ち対策として壊れる兆候はなかったが予防保全の考えからウインドウレギュレターの交換等をしてもらった。セールスはこれも壊れてから保険で直せますと言っていたが、レギュレターだけならよいが壊れ方次第で、パワーウインドそのものや、ウインドガラスの破損につながった場合、全額保険で対応できるか微妙な約款であったため、無理を言って交換させた。
 ついでに欧州車はそこの気候からかエアコンも弱いらしいので、エアコンのコンプレッサーも交換もしておきたかったがそれは無理だった。
 あと、O2センサーやエアフロメータなど気になるところもあるが、エンジンや駆動系等の機関のトラブルについては保険が効くので、どうにか安心できるレベルにはおさまった。
 タイミングベルト交換を言うのを失念していたのが悔やまれるが、まあまだ4万kmくらいの走行距離なので大丈夫だろう。



 今回の中古車購入で、保険についてもいろいろと勉強できたが、やはりトヨタの強みが目立った結果であった。そのトヨタの保険の引き受け会社は当然、あいおい損保である。その株の3分の1を所有し支配力を有するトヨタだから出来る有利な条件である。
 株式を3割持つということは、株主総会で重要事項に対して否決権を持つということなので、ほぼ会社を支配できるに等しいのである。


 一方の日産の保険の引き受け会社も当然、日産日立グループの損保ジャパンである。が、一社での引き受けではないし、そもそも同じグループと言えども日産には、あいおい損保に対するトヨタのような支配力はない。
 また日産は一部にルノーの代理店をしているディラーもいるが、輸入車と国産車の保険料金を分けて設定しても大きな問題とはならない。
 その点、トヨタはDUOを全国展開しているため、別料金とはしにくいという事情もあるのだろう。結果としてトヨタの保険体系は輸入車に対して非常に有利にはたらいている。また、保険料金が故障確率から見て低いといっても、故障修理時に腹が痛むのは販売ディーラーはないため、その分価格に上乗せしておく必要もない。


 そんなことが、今回DUOを経営しているトヨタのディラーからの購入に決めた理由だけど、ずいぶん以前に、自動車だけではなく損保の商品設定の元になる様々な事故率や火災、地震リスクの計算をしている協会の方と、とある社外教育でご一緒したことがある。
 当時その方は確か、その協会の算定データを使用していない商品はまず認可されないと言っていたが、今回のトヨタの保険、どのようなデータに基づいたものなのか、興味が湧くところである。

posted by ネプチューン at 22:10| Comment(1) | TrackBack(0) | コラム(自動車) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月24日

車を購入

 今までの愛車は1BOXカーだったのだけど、子供たちも大きくなりキャンプも行かなくなったし、上の子供二人が大学に進学したため家族全員で一緒に乗ることさえない。
 加えて、ディーゼル車で11年選手になり、一時エアフィルターを交換して治ったかと思ったものの、酷い黒煙と高速100km巡航が若干厳しいことや燃費も新車時より2割悪くなってきた。


 そんなことから次はセダンが良いかななんて思って、先日来ディーラー巡りをしていた。クラウン、フーガ、マークX、ティアナ、スカイライン、カムリとフルサイズセダンを軒並み試乗してみたけど、何かピンと来なかった。
 それより何より、先立つものがない。上の子二人の仕送りに、三男坊の高校入学、自分の単身赴任。あるはずがない。


 とうことで選んだのは、結局中古車。4年落ちで価格は新車時の約4割。これであと6年乗れるとすると、新車を買って10年乗るのに比べて単純比較で1.5倍の経済性となる計算。
 でも買った車が、国産ではなく巷で揶揄されているボロクソワーゲン社製の小型車なので計算どおりにはいかないだろうし、耐久性には若干不安もある。

 友人たちも乗ってたけど、ドイツ車は頑丈ではあるが日本人が抱くイメージほどはノントラブルではない。
 そのため、必ず起きるというメジャートラブルであるパワーウインド破損による窓落ちの対策をした上でバッテリー、ブレーキパッド、タイヤ等も交換。さらにディーラーで3年保証を付けてもらって購入。

 この選択がどうでるか楽しみであるが、日本車とちがい派手な装飾はないが、4年前の小型車のベースグレードであるにもかかわらずイモビライザー、サイドエアバッグなどの安心・安全装備には手を抜いてない。この辺りに車に対する思想の違いが見えていて興味深い。(でも、ちょっとしたギミックが案外多いのには意外だった)


 大型セダンにしなかった決定的な理由は、実はお金の他にもう一つあるのです。町中で、大着な運転をしている車や、スーパーやサービスエリアで枠外や身障者スペースにとめてある車の多くが、これら大型セダン。なんか一緒にされたくないなあなんて思いも強かったことは事実。日本の自動車文化もまだまだ熟成されてないですねぇ。

 もう一つ気になること。下取りに出した11年落ちのディーゼル1BOX。ディーゼルなので、必ずオークションで値段が付くからと言われて思いの外、高価格がついた。
 聞くところによると、海外に持っていけば結構活躍するとのこと。高価格で下取ってくれたことはうれしいのだけど、酷い黒煙が買い換え理由の一つだっただけに、こうやって発展途上国に公害を押しつけていくんだろうかを思うと、複雑な気持ちにもなる。


 まあ、慣れぬ車。まずは年末年始を安全に乗り切りたい。

posted by ネプチューン at 22:42| Comment(3) | TrackBack(0) | コラム(日記・雑感) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月21日

目標は、手段か目的か

 目標管理という言葉が一般的になってから、かなりの期間が経つ。しかし、私を含めて多くの者はその意味を本当には理解していないような気がしてならない。
 目標管理という概念でいうところの「目標」とは、一般的に言われる「目標」つまり最終的な理想となる姿、すなわち戦略目標とは異なる。あくまで、最終の理想像、戦略目標に向けて行動し成果を問われる指標であり、かつ現在の進捗度合いを測るモニター指標である。

 したがって、目標管理でいう「目標」とは、最終的な目的に向けた一里塚であり、戦略目標にたどり着くための手段であると考えられる。

 しかしながら多くの者は、その「目標」自体を最終目的と考え、行動をしてしまいがちである。それは、あたりまえの話であるが「目標」達成度合いが自分の評価や賃金に繋がるとなれば、その「目標」をノルマとして捉えてしまうからである。そこに目標管理の難しさがあると思う。

 そのことは、個人の目標管理のみならず、組織におけるKPI管理でも全く同じである。それどころか、目標管理とは全く無縁と思われる政治の世界でも同じような過ちが進行している。安部内閣、安部自民党の最終的な戦略目標は、小泉前首相時代のそれと大きくは違いなはずであるが、近日の動きを見ているととてもそのようには感じられない。
 その理由の一つが、政策の実現といった最終理想像ではなく「来年度の参院選挙における必勝」を、自身の目的に据えてしまったことにある。世論はそのことを敏感に察知してか、安部内閣の支持率が急落している。


 いずれにしても、一里塚であり手段であるはずの「目標」を、最終的な目的であるかのように勘違いしているのではないだろうか。
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2006年12月09日

若者を消耗品として扱う社会

 先日の新聞に大手スーパー系のクレジットカード会員獲得キャンペーンの仕事を、本人達の無知につけ込んでアルバイトから業務委託契約に変更して残業代を支払わずに済むようにしたとして、会社側に未払い賃金支払いの提訴をしたとの記事が掲載されていた。
 実質的には上司の業務指示・命令に従って仕事をしていたとのことであるので、業務委託として取り扱うには無理がある。法律的なことは知らないが、提訴した若者達が正しいと感じる。


 また、だいぶん是正は進んできてはいるが、先頃からのいわゆる「契約社員」の問題。ひどいところでは、一般社員の求人に混じって堂々と高校新卒に対する求人もあったらしい。


 以前テレビで、あるレストランの接客のバイトの特集をしていたが、一流のサービスのできるバイトに権限を与えてやる気を引き出すことで、職場全体としてのサービスの向上をはかるといった内容であった。
 また、先月の日経ビジネスにブックオフの会長の記事が出ており、これも先のレストランと同じやり方で、店舗の活性化、店員のモチベーションアップをはかっていた。
 これらは、一見すると正しい論理のようにも見えるが、大きな落とし穴がある。それはがんばったものに対しての金銭的インセンティブが極端に少ないことである。またそのことを経営者が自慢しているということに大きな問題があるような気がする。
 人間、金だけではないと言いはするが、純粋な若者の心をもてあそび、「○○もおだてりゃ木に登る」ではないが、巧みにそのあたりの心理を利用していることに共通点がある。

 
 また、これらの流れは、先の業務委託化、契約社員化とともに、若者に厳しい現代社会を作り上げている一因となっている。くわえて若者達自身の自分探しと称するモラトリアム期間からの非脱却の風潮と相まって、若者達を消耗品として取り扱うことを是とする社会ができあがってしまっている気がする。
 未来の社会をになう若者達を、そのようなところに追い込んでしまうべきではない。

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2006年11月26日

核保有論議

 安倍政権の求心力低下につながりかねないとして自民党執行部が必死に火消ししたことにより、近頃かなり下火になってきた核保有論議。旬は過ぎたが今回はこれについて考えてみたい。

 先般の北朝鮮の核実験を受けて、自民党の中川昭一政調会長が問題提起したことを発端に、中国への牽制という面から大きな効果があるとして東京都の石原知事が中川氏の発言を大きく評価したり、自民党の笹川尭党紀委員長による非核三原則の見直し論にまで発展した。
 非核三原則見直し論については、純粋にディベートをするならば見直し案の方に軍配が上がるであろうくらい非常にロジカルな話であるが、それについての考察はひとまず置くとして、ここで取り上げたいのは単にムードとしての核保有議論容認論である。
 
 また議論容認論に対して、一方で、唯一の被爆国である日本としては議論すること自体論外であるとの意見も多い。
 一見正反対の意見のようであるが、そこには双方に共通して流れている底流がある。


 両方の意見の持ち主とも、今まで「核を保有しないことのリスクを理解し、それを負う覚悟をした上で核の放棄」していたわけではなかったということである。
 つまり、議論容認論は、軍拡・核開発に奔走した冷戦時代の米ソと全く同質であるし、反対論者も、単に核をタブー視してきただけのことではなかっただろうか。

 北朝鮮の核実験の後、アメリカのライス国務長官が日本にすっ飛んできたが、そのねらいは、「アメリカの核の傘は日本にもちゃんとかかってるんですよ」ということを説明して、日本人の不安ひいてはアメリカへの不審を払拭しようとして急遽来日したわけであるが、日本人の多くは、それを単に対北朝鮮政策の歩調あわせくらいにしか受け取っておらず、ライス氏も拍子抜けしていた程である。

 アメリカは、日本に核ミサイルが発射された場合、自国が攻撃されることを覚悟の上どこまで日本を助けるのか。アメリカの核の傘を考えたことのあるものは、それが砂上の楼閣のような概念であることを知っている。が多くの日本人は、核の傘を漫然と信じており、その上に非核三原則堅持は絶対に曲げられないとも思っている。
 そのことが及ぼすであろうこの国のリスク。そのことを徹底的に議論し理解した上でなければ、その矛盾した二つの論理の上に日本という国家を構築することが如何に不安定であるかを今回見せつけてくれた。

 10月17日の衆院安全保障委員会で麻生外相が言った「何の勉強もしないで無知なままより、きちんと勉強した上で持たないというのも1つの選択肢だ」と言う言葉。
 麻生財閥の御曹司で、顔と同じくわがままで歪んだ発言の多い同氏ではあるが、案外この発言は、今の日本にとってやらなければならないことを端的に表しているのではないかと思う。


 「やっぱり日本人は何も考えていない能天気な国民だ」とライスに思われたままで良いわけがない。

posted by ネプチューン at 16:58| Comment(0) | TrackBack(1) | コラム(社会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月23日

効果的な短時間休憩法

 ある雑誌に標記について興味深い記事が掲載されていた。15分程度で行える効果的な休憩方法についての研究結果である。


 まず、15分間をどのように休憩するのがよいのか。
 音楽聴取、マッサージ椅子などを数種類設定して実験した結果、休憩時に「覚醒度の低下」を感じること、つまりは眠ることが良いとのことである。ただし、20分から30分といった長時間眠ることは逆効果らしい。



 次に、どのような眠りがよいのか。ぐっすりか、それとも眠ってたなあと感じる程度か、眠った感じはないけどウトウトはしたかなあという程度か。
 これは、ある程度、眠ったなあと感じられるくらいの眠りの深さがよいらしい。


 以上の二つについては、我々の一般的な経験則からも合致しており、妥当な結果だろうと考えられる。


 最後に、休憩後に業務再開までにどのようにして覚醒度の上昇をはかればよいのか、すなわちどうやって眠気をとってシャキッとするかである。

 これについては、最低10分間程度はその時間が必要であるとのこと。再開直後に効果が現れるのは、@パソコンでゲームをする Aストレッチをする B冷たいタオルで顔を拭き扇風機にあたるなどがいいらしい。
 ただし、それらの効果は15分程度すれば薄れてくる。その後は、コーヒーが一番効くらしい。




 以上を総合すると、昼休みの理想的な休憩方法は以下の通りとなる。

@12:30 椅子やソファーで眠る。眠りの深さは深すぎず浅すぎず、一応眠ってたなあと自覚できるくらいの深さで。
A12:45 起きて、トイレに行き顔を洗い、団扇で扇ぐ。
B12:50 コーヒーを飲みながら、パソコンでソリティアをする。
C13:00 午後の業務を再開。これでバッチシ。


 理想は理想かもしれないが、そんなにうまくはいかないだろうし、第一、5分刻みでスケジューリングされた休憩なんて、休憩にならないような気もする。休憩くらいはもう少しおおらかにとりたいものだ。

posted by ネプチューン at 22:02| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム(日記・雑感) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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