2006年04月30日

北米紀行18(最終回)

 やっと最後の日の日記を書くことができた。途中面倒くさくなって何度かやめようかとも思ったが、まがりなりにも非日常の半月間を記録にとどめることができた。自己満足ではあるが、やはりうれしいし、ホッとした

いよいよ帰国日(’03年10月19日(日))

 いよいよ帰国の日だ。絶対に寝坊は許されない。そう思うと緊張したのか夜中に何度も目が覚める。4時に目が覚めたときに起きることにした。眠い。

 5時30分にチェックアウトしタクシーで空港に向かう。昨夜フロントで5時半にタクシーに乗りたいのだが大丈夫かと聞いたら予約なしでよいとのことであったが、外には1台しか待っておらず危ないところだった。エアカナダでバンクーバーに行きたいというと、運ちゃんは、国内線のターミナルだと言う。眠たいと言うと着いたら起こしてあげるよと言われたので、甘えて居眠りをする。良くも悪くも海外にいるという緊張が薄らいできている。すくなくともタクシーの運ちゃんには今まで悪い印象はない。


 国内線の乗り場に着いたのだが、どこで出国審査があるのだろうか。トロントでのイミグレーションのいやな感じを思い出す。
 空港では簡単なセキュリティチェックのみだ。それもいままでの空港に比べずいぶんと緩やかだ。今日からはエグゼクティブクラスだということも関係しているのかもしれない。
 バンクーバーまで2時間と少し。飛行機はすいている。キャビンアテンダントは男性3名のみ。これにはびっくりした。日本ではクレームものだろう。タクシーの運ちゃんも言っていたが、新聞をみるとバンクーバーはかなりの水害の様子。そういえばテレビのお天気番組でも、ここのところ雨のラインがいともバンクーバーの上にあったが、そのせいだろう。予想通りバンクーバー上空は雲が多く、時折隙間から見える川も茶色い水が流れていた。

 結局アメリカ出国審査はどうなったのだろうと思っていると、バンクーバー空港で係りの人に出国審査の用紙を渡されて、これもエグゼクティブクラスのおかげか、わざわざエレベータで国際線のロビーまで案内してくれた。それであっけなくアメリカを出国したことになるようだ。ここはもうアメリカでもカナダでもない国外なのだ。あとは日本行きの飛行機に乗るだけだ。

 せっかくのエグゼクティブクラスなので、エアカナダのラウンジでくつろぐ。韓国産のカップラーメンをおいてあり中国人らしき人が食べている。それを見て自分も、欲しくなり食べてみたがとにかく辛い。でも周りをみると結構白人たちも食べている。
 また、ラウンジのあちこちで初対面の外人同士が挨拶をし、会社のパンフレットなどを交換している。少しだけワールドワイドのビジネス社会をみた感じだ。日本人はなかなかそのようにはいかないだろう。

 乗り遅れたくはないので、早めにラウンジをでて出発ゲートに行く。が、大阪行きの案内がない。しばらくするとゲート変更のアナウンスがあった。
 あらためて指定のゲートに行くと日本人の団体客がたくさんいる。ゲート近くの売店で、おじさんの団体が使い残したコインで買い物をしている。「まけてくれへんか」と大阪弁でまくしたてていて、店員も圧倒され、たまらずにまけていた。すると「おおマイフレンド、マイフレンド」と言っておじさん達大喜び。
 隣では、おばちゃん連中も値切るのに大はしゃぎしており、金を払ってから後で「ほんまは、いくらだったん?」とレジの女性に、これまた日本語で聞いている。自分がカナダでどれくらい値切ることができたか、その実力を確認したかったらしい。とにかくそのパワーに圧倒される。
 今は低迷を極める大阪だが、日本で21世紀を生き抜けるのは東京ではなく確実に大阪のこのパワーだろうと予感させられた。

 自分もコインがたくさん余っていたので、おみやげにトイレの洗面所の販売機で特大のコンドームを買う。帰国後これを誰かに渡したののだが、渡した相手をうっかり失念してしまい感想を聞けずじまい、残念。(たぶんダブダブだったことだろう。 私?私は、自信喪失まちがいないので、使っておりません。)

 飛行機は今まで見たことのないスラーアライアンス塗装のエアカナダ機。20分遅れで13時5分出発した。ここでもスムースでゆったりした離陸だ。行きとは異なり、機内ではアテンダントも日本語で対応してくれる。もう日本に帰った気分になる。

 食事の後ワインを飲みながら、この旅を振り返った。たかだか2週間あまりの海外ではあったが、何もかもが初体験で、いろいろと得ることも多かったと思う。このようなチャンスを与えてくれた上司と、セッティングの手伝いをしてくれたM君、途中会議をアテンドをしてくれたKさん、出張中なにかと仕事のしわ寄せをかぶってくれているだろう同僚、部下に感謝である。

 そんなことを思っている内に、機内のモニターが日付変更線を超えたことを知らせた。もう少しこの旅にひたっていたいが、頭のスイッチを日常モードに切り替えるために、腕時計の針を日本時間に戻すことにする。
 ワインの酔いもまわってきた。一眠りすることとしよう。つぎ目覚めればそこは日本。どうやら無事にこの旅も終わりをむかえることができたようだ。


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2006年04月23日

北米紀行17

最終日サンフランシスコ観光(’03年10月18日(土))

 今日が、活動できる最終日だ。今まで、途中ではカナダからアメリカへの移動時の厳しいイミグレーション。ピッツバーグでの人種差別的なセキュリティチェック。フライトの遅れとそれに伴う便の変更やバッケージの遅延など小さなトラブル(英語ができない自分には大きなトラブルだったが) があったもののどうにか最終日を迎えることができた。

 朝は、近所のバーガー屋でハンバーガーを食べる。幸いここは、クリッチーホワッチー(クリームチーズかホワイトチーズか)とかウァラライ(白パンかライ麦パンか)とかは聞かれなかったので一安心。でも、当然ではあるのだが爺さんと婆さんが朝っぱらからハンバーガーを食べているのにはやはり違和感がある。

 ゴールデンゲートブリッジに行くためにケーブルカー乗り場に行く。昨日同様長蛇の列だ。30分待ってケーブルカーに乗る。席に座っていると、目の前のつり革に股下の浅いジーンズを履いたラテンアメリカ系の若い女の子が掴まった。よく見るとジーンズの下は紫色のTバックだ。
 自分が席を詰めればその子も隣に座れるのだが、座られると目の保養にならない。思わず席を詰めるのはやめて、前に抱いていたバックを隣に置く。この辺りの反射神経は我ながら鈍っていない。
 が、目のやり場に困るというか何というか。本当は全然困らないのだけど・・・、困ったことにしなければいけないのが、はたまた困ったことなのだ。
 でも、Tバックは別にしても、こちらではやたらこの格好をした女性が多い。若い子だけでなく、今でいう長州小力の中年女性版のような肉のだぶついた年輩のかたも同じである。その場合は、本当の意味で目のやり場に困ってしまう。かといって席を詰めて隣にでも座られた日には目も当てられない。

 ケーブルカーを降りてゴールデンゲートブリッジに行くためにレンタサイクル屋に立ち寄る。申込書にはデポジットがどうたらクレジットカードが云々などと面倒臭そうなことがいっぱい書いている。人もごった返しているので、ひとまず店屋を出て港をぶらぶらする。
 と、漁船のそばで兄ちゃんが「ベイクルーズをやる」と叫んでいる。聞くと1時間10ドルだというしゴールデンゲートブリッジまで行くとのこと。自転車よりも観光船よりもだいぶん安かったので、これに決め漁船に乗り込む。が、なかなか他の客が来ない。そういえば片道か往復かなどは一切言っていなかった。どこかの島でおろされたらどうしよう・・・などと思っていたら、続々に客が乗ってきたので一安心。満席になってから出帆。

 橋の下まで行ったが、どういう訳かそこだけ濃い霧に包まれている。まさに霧の都サンフランシスコだ。帰りに、何とかという映画にもなったアルカトラス刑務所のある島を一周した。こんなところに入れられたらなるほど脱走は不可能だ。そうこうしているうちに無事に港に帰る。片道ではなかった、一安心。

 昼は、フィッシャーマンズワーフでビールとクラムチャウダーをテイクアウトして公園で食べる。公園ではバンドの生演奏。実に絵になっている。すっかり気分はアメリカン。
 でも、そのそばで乞食のような格好の日系人の婆さんがゴミ箱をあさっていた。日本からの移民のなれのはてだろうか。婆さんの乞食というのが哀れで、それまでうかれていた自分になぜか反省してしまう。

 帰りのケーブルカーは、さらに混んでいて1時間待ちだ。そこでもギターの弾き語りをやっている。が、こちらは本当にへたくそだ。でも、数曲ごとに帽子をもってケーブルカー待ちの客にチップをもらいに回る。
 出さない人もいるがほとんどの人は出している。アメリカ人は、もっとドライかと思ったが、日本人と同じ感じで、隣の人とこそこそと話してから渋々小さめのコインを出している。自分は、英語が判らないし、チップという習慣も知らないので、なにをしているかさっぱり理解できない。だから、チップは出さない。
 と、突然だれかが「へたくそー、止めろー」と叫んだ。そうすると公園の方にいた黒人たちが集まってきて、文句を言った奴をぼこぼこにして「かえれー」と言い返していた。善意の黒人か・・・、ではないだろう。へたくそミュージシャンのヒモに違いない。ケベックシティでも偶然に同じような身障者のへたくそミュージシャンのヒモを見た経験もあって、興ざめ。少なくともチップを出さなくて正解だった。

 明日は出発が早い。夕方ホテルに戻り、パッケージングをすましてから、早めに寝る。

 


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2006年04月16日

北米紀行16

霧の都サンフランシスコへ(’03年10月17日(金))


 

 七時一五分にホテルをチェックアウト。こちらに来てからいつも朝早いチェックアウトである。タクシーでLAX(ロスアンジェラス国際空港)まで行く。たいそうかすみがかった天気なので、スモッグかと運ちゃんに聞くと霧だそうだ。海と陸地との気温差で朝はいつもこうだそうだ。ああ霧の都ロスアンジェラス?。気のよさそうな運ちゃんで、へたくそな英語で会話する。半分以上判らないのに何とか話になるのがおかしい。

 空港に着くと、建物の外にバッケージのタグをつけるところがある。ピッツバーグと同じだ、学習効果を発揮し並んでいると、自分の持っているチケットはペーパーチケットなので中のカウンターにいけと言われる。ここでも、電子チケットでないので奥に行けといわれる。奥に行って、そこでやっとチェックイン。バッケージチェックでは、案の定スーツケースを広げられて中まで見られる。でも、ピッツバーグのことを思えば緩いチェックであった。

 そこでごつい黒人の係員に、あれこれ聞かれる。NoかYesかで答える質問だというのは解ったが、早口で質問するので、どちらで答えれば良いか解らない。つい適当に答えたが、もし間違っていたら奥に連れ込まれてさんざん絞られていただろうと思うと、後からゾッとした。

 飛行機はUAのB757だ。これも日本にはない機種で興味がそそられる。席は非常口の窓側。となりはUAのパイロットらしき人物。アテンダントから非常口の開け方などの説明を受ける。例のごとくあまり理解できなかったが、最後に私の言うことが判りましたかと聞かれた。そこだけは解ったので、YESと言うと、少し斜めにうなずいてから去っていった。

 その後、「非常口にお座りの方は非常時にはお手伝いいただきますので、アテンダントの指示が判らない人は席を替わってもらいます。」と書かれたペーパーがシートポケットにあるのを見つけた。さっきの微妙なうなずきはこれだったのか、危ういところだった。
 アテンダントの動きを見ていると何となくだらけている。アメリカ人気質かもしれないが、エアカナダやUSエアウェイズよりも随分と質が落ちる感じがする。

 20分遅れの出発であったが、定刻に着く。サンフランシスコを楽しみたくてバッケージクレームへも一番乗り。だが、いつまでたっても荷物がでてこない。
 30分ほど待ってようやくでてくる。どうりで一緒におりてきたみんなが、ゆっくり歩いて来るはずだ。だれかがとなりで「サンフランシスコはいつもこうだ」とぼやいていた。今日からはオフなので、タクシーを使わず倹約してバスで市内まで行く。小さなコミューターバスで、中国人ドライバー。客は自分のほかには一人だけだ。13$のところをチップ込みで15$払うと超ご機嫌。チップとはなにか、を考えさせられる旅だ。

 ホテルでチェックインを済ませてから、近くのユニオンスクエアに行く。あちこちでカットピザを食べているのを見て自分も食べてみたくなり、店屋を探す。いくつか店があったがその中の一番安い店でピザを買って公園で食べる。その後、おきまりのケーブルカーに乗ってフィッシャーマンズワーフに行く。ケーブルカーの駅の近くでは、バンドやソロの生演奏をやっており、それが実にうまい。数曲ごとにケーブルカー待ちの客にチップをもらいに回っている。ケーブルカーは約30分待ちで人数も多いので結構儲かるだろう。
 フィッシャーマンズワーフをうろうろしたが、ここは日本の観光地とよく似た感じだ。


 

posted by ミスタースージー at 09:30| Comment(0) | 700年遅れの西方見聞録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月11日

北米紀行15

 前回、忘れてしまいそうなのでしばらく集中的に書こうと考えていたのだが、つい面倒くさくて後回しになってしまった。反省。


風力発電所見学 (’03年10月16日(木))


 今日の風力発電所見学で、オフィシャルな日程は最後である。九時にG氏がホテルまで迎えに来てくれる。とにかくこちらでは車がないと身動きがとれない。いろんな方に迷惑をかけてしまう。ホテルから200km、高速で約2時間。途中、片側6車線という大規模な高速道路を通っていく。ロス行きである反対車線はコンボイの軍団だらけ。改めて、アメリカの車社会ぶりを痛感する。
 一番左車線(日本で言う追い越し車線)には、カープールと書いてある。G氏に聞くと2名以上乗車するとその車線を通ってよいとのことらしい。我々は2名なので当然その車線を通っていく。見ると違反している車はないようだ。カローラクラスの車で80マイル(時速約130km)以上で荒れた道をとばすので結構くたびれる。

 走行していると、山の陰から突然無数の風車の群。聞くと2000基以上あるらしいが、多すぎて誰も全部は数えていないとのこと。風もロッキー山脈からの吹き下ろしで、年中一定の風がコンスタントントに吹くらしい。日本とはかなり違う環境だ。
 先方の事務所について、おきまりのプレゼンを受ける。やっぱり英語。う〜苦しい。
 担当のR氏の話では、急に電力会社の変電所作業が入って、見学させてもらうM社の風車はすべて止まっているとのこと。訴訟社会のアメリカのことなのでさぞかしその辺りは神経質になって、原因やなにやらを根ほり葉ほり聞いているのかと思いきや、存外あっけらかんに「なにがあったのかなあ」などと話していた。現場の担当者は案外のんきに仕事をしているようだ。たぶんそれぞれの担当がキチンと決まっておりそれ以外は関知しないというやり方なのだろう。

 M社とジョイントしているサブコンのS社のコントロールルームを見学した。コントロールルームといってもパソコンが並んでいるだけの部屋で、それぞれのパソコンから全米各地の風力発電所の監視制御ができる。夜や土日はR氏の自宅からインターネットを通してやっているとのこと。日本と比べてかなりの割り切りだ。コスト最優先なのだろう。画面を見るとほとんどの発電所が定格の100%を超えての運転でしかも出力が一定している。これであれば風力も美味しい商売になるだろう。うらやましい感じだ。

 帰りは途中砂漠の中のアウトレットモールで土産を買う。全米一の大きさらしい。ブランド物は興味が無く、ブランドの名さえよく知らないので、適当に買う。後で日本に帰って見てみるとかなり安かったということが解り、もう少し事前に買う物を調査しておけばよかったと後悔する。

 夜は、150kmほど返ったところにM社の本社事務所があり、そこの近くの日本料理店で食べる。結構本格的な日本料理で、客も多い。入り口で、シカゴかボストンでやっているプロ野球の試合をテレビで流していたが、録画放映とのこと。あらためてアメリカの東西の広さ、時差を感じる。
 そこからホテルまで60km、タクシーで送ってもらう。四国で言うと、徳島のホテルに泊まって松山で見学、高松で食事して徳島に帰る、といった距離である。どうもこちらの距離感はスケールが違うみたいだ。

 本日で無事公式日程を終了した。とにかく疲れたが、とりあえず出張報告は書けそうだ。明日あさっては今回の旅の最後の地、サンフランシスコだ。

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2006年03月25日

北米紀行14

二年以上前の旅の日記を書いているのだけれども、細かいところが少し記憶が薄くなって来た感じ。読み返してみると文体もバラバラだし、少しまじめに書かないと最後までたどり着けないかもしれない。ほかにも書きたいことは多いけど、しばらくはこの旅日記を集中的に書くことにする。

企業訪問(’03年10月15日(水))



 朝、ホテルで本日の企業訪問の質問を整理する。平日なので、誰も見ていなくてもたとえアメリカであってでさえも、仕事、仕事だ。それが・・・・本当なら自分で自分をほめてやりたい。

 一区切りして、近くのリトルトウキョウでブランチをとる。昨日Y氏からホテルより南側には行かないようにとの注意を受けていた。ついこの間には2ブロック南で殺人事件があったとのこと。冗談ではないので注意して歩く。こちらでは、筋一本どころか、道のこちら側は良いけど反対側の歩道はダメとか、大通りはよいけどそこから入っている路地はダメなので道の中央よりを歩けとか、日本では考えられない治安レベルだ。しかしそれさえ守っていれば安全だよっ、とこちらの人の弁。でも日本の治安に慣れたものからはやっぱり落ち着かない。将来、渋谷や新宿はこんな感じになるのだろうか。少し心配。

 昼から企業訪問する。そのビルは一階の受付で名札をもらってからでないと入れない。やはり911後は、その辺りが厳しくなったとのことであった。
 結構長い時間、こちらの質問に付き合ってくれる。また、先日の企業でもそうであったが、規模の割にヘッドオフィスが少人数で、一人一人に大きな権限を持たせている。この辺が日本企業と大きく違うところた。その分責任も大きく、結果を出せないとすぐにリストラされるみたいだ。
 また、条例か法律かは判らなかったが消防の関係で、オフィスでは書類を床におきっぱなしにしてはいけないとのこと。会議の後、重役たちのオフィスを回って全員に紹介してくれたが、一人だけ書類に埋もれている頭の毛の薄いアメリカ人の副社長がいてバツの悪そうな顔をしていた。でも、我が社のオフィスなら全員違反間違いなしだ。

 夜は訪問先の企業が入っているビルの最上階のレストランで、そこの社長、副社長と食事をする。そこでの話はあまり覚えていないが、一点だけ。モントリオールにも行ったと言うと、先方の社長が、「あそこのストリップは世界一綺麗でこの世のものとは思えない」と言っていた。実は自分も行こうと思っていたのだが、店の名を書いたメモをなくしてしまって行けなかったのである。とても残念。




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2006年03月04日

北米紀行13

ロス入り(’03年10月14日(火))


 今日はロス入りの日。昨夜B氏は、USエアウェイズのチェックインはすごく混むので、九時四五分発のフライトであれば七時半にはホテルを出ないといけないと言っていた。七時にチェックアウトしタクシーを待とうとすると、空港行きはシェアタクシーに乗れと言われた。どうも相乗りせよとのことのようである。ほかの二人と相乗りして空港に行く。他の二人は先に別のターミナルで降りた。最後に自分が降りたのだが、10$でよいと運ちゃんに言われて支払う。領収書をくれというと、32$の領収書をくれた。得した気分。朝からついているぞと思った、がそれは大きな間違いであった。

 タクシーを降りると建物の外の歩道に「curbバッケージ」と書いた看板がありみんな並んでいる。どうやらここで荷物にタグをつけるようだ。チェックインしてからタグをつけるのか、チェックイン前につけるのか判らないので、その辺りにいた黒人の係りに聞く。が、速すぎて判らない。もたもたしていると、バックを持って中のチェックインカウンターに案内され、チェックイン終了。やっぱり今日はついている。ラッキー。
 が、バックをX線に通していると、「おまえの荷物か?ちょっと来い」的なことばを受け、別のところで念入りに調べられた。隣では、北欧系の老婦人が調べられていて、泣きそうな顔をしている。と、次に東洋系のビジネスマン風な男性も来て調べられている。どう見ても外人のみを調べている感じで不愉快。
 そこまではまあいいとして、バックのチェックがやっと終わって人間用のセキュリティゲートに並んでいると、ごっつい体格をした警備員がよってきてチケットを見て「おまえは“S”だからここではダメだ。あちらに行け」と怒鳴られる。訳が分からず、聞き返そうとしたら、数人の警備員がやってきて取り囲まれる。仕方なく、彼らについて別室に行く。念入りなボディチェックを受けたあとやっと解放されるが、靴をとられたまま返してくれない。やっとのこと返してもらって、無罪放免。チケットに書かれた「S」は何だったのだろうと、チケットを見ると、席も「B席」。早めに行ったのに中席。最悪である。

 飛行機に乗り込む。エアバスA321だ。席は予想通り中席。しかも両サイドを同年代の屈強な男性二人に囲まれている。「S」は、怪しい人物で、暴れたらすぐに取り押さえられるようにするための印なのだろうか。超いやな気分である。
 怒り心頭で座っていると、アテンダントが「パーチェス、なんじゃら?」と聞いてきた。頭がパニクっていたこともあって、基本的な単語もど忘れしたようだ。仕方ないので「パーチェス?」と聞き返すと、両サイドの男性からステレオで「バイ」と返ってきた。恥ずかしいし、気分わるー。
 その上、ドリンクサービスの時、受け取り損ねて隣の男性の上に、ジュースをこぼしてしまい、平謝り。よく考えれば、おまえのでかい図体がじゃまで受け取れなかっただけじゃないか。この一件で完全に落ち込んでしまう。ピッツバーグになんか二度と着てやらないぞと固く心に誓う。でも、グランドキャニオンが見えるとの放送があったときに窓側の人が席を替わってくれたので、よく見ることができ、少し気を取り直す。
 5時間の長いフライト終わりロスアンジェラス国際空港LAXに到着する。出口で約束していたY氏がサインボードを持って待っていてくれる。日本語のボードを探していたが、当然ローマ字で書いてあったので少し迷ってしまった。

 高級リムジンでおきまりの観光をする。北米最大のヨットハーバーであるマリナデルレイ、野中兼山もびっくりの超大型の掘込み港湾だ。マッチョマンの多いベニスビーチ、ロスの湘南サンタモニカ。昼食はここのオーシャンアベニューシーフードで摂る。その後、ビバリーヒルズ、ロデオドライブ、ハリウッド等々である。これらをリムジンの日本人ドライバーB氏の案内で回る。彼は、工藤由紀や矢沢栄吉なども御用達の有名ドライバーらしい。夜はホテルニューオータニで寿司を食べる。食材はアメリカ産かもしれないがおいしかった。 

 このホテルでも、部屋のセキュリティボックスが開かなかったり、トイレの水があふれたりトラブルが多いし、そういうときに限って日系ホテルにもかかわらず日本人スタッフがいない。時差があって活動時間が長いこともあって超疲れた。
 どうやら、ピッツバーグまわりの前後一日は鬼門のようである。明日は、厄払いができていることを期待して寝る。

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2006年02月19日

北米紀行12

企業訪問(’03年10月13日(月))


  朝八時に目が覚めるが、昨日の疲れがたまっている。今日は午前中空いているので市内観光でもしようと思っていたが、ホテルで休むことにする。一眠りして十時過ぎに遅めのブランチを食べに行く。ホテルのビュッフェで、十時半までだと言われて急いで食べる。

 部屋に戻りで休養をとった後13時前にロビーに行く。すぐにYさんが迎えに来てくれる。メールで行っていてくれた特徴どおりの人ですぐに判る。もっとも日本人はあまりいないので、全然判らなくてもすぐに見つかりはするのだが。Yさんが車を取りに行っているときに、黒人のドアボーイから、「彼はJIROか?」と聞かれた。どうして判るのかと聞くと「胸に名札をつけていた」という。ビジネスマンがホテルで名札をつけていたのがよほど珍しかったのだろう。30分ほど高速で北に向かう。Yさんの会社につくと社長以下重役が出てきてびっくり。一応日本から持ってきた手みやげを渡す。そうこうしているうち社長がプレゼンを始めてしまった。当然英語である。また、よく見ればみんな外人。日系企業なのに、日本人が出てこない。かわりに背中から汗が出てきた。

 夜は、旧駅舎のあとをモール街にした中にあるしゃれたレストランに行く。先方の副社長ブライアンと日本人責任者とYさんとの4人。対岸にピッツバーグのリトルマンハッタンの夜景を見ながらの食事。ブライアンは私のつたない英語によくつきあってくれた。また、二人の日本のかたもうまくカバーしてくれたので、会話も弾み、大変たのしいひとときを過ごすことができた。ブライアンは日本に出張があるかもしれないのでそのときは連絡すると言ってくれた。

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2006年02月05日

北米紀行11

トロントからアメリカへ(’03年10月12日(日))


 旅もついに後半に突入である。Kさんとも今日トロント空港でお別れである。ここからは、一人旅である。

 朝、バスサービスのバスでトロント空港まで行く。午後ゆっくり目のフライトであるが、出国手続きがあるので、早めにいきたい。と思っていたが、当初10時30分だった予定が11時になる。Kさんができるだけ早くいってくれと運ちゃんに言っている。運ちゃんは1時間で行ったことがあると自慢していた。が、途中どこかの新興住宅街で高校生のような若い男の子を拾う。お父さんとお母さんらしき人が玄関まで見送っているが当の本人は素っ気ない感じでバスに乗り込む。「ハァーィ」とか言うのかなと思ったが、無口な感じで日本人とよく似た雰囲気である。このあたりの感覚がアメリカとカナダとの気質の違いだろうか。

 その後バスは、猛スピードでハイウェイをダッシュする。もっともおんぼろバスなので、せいぜい120kmくらいであるが。とにかく12時20分に空港に着く。フライトは15時10分なので、まだ余裕だろう。と思いきや、そこはユナイティッドのターミナル。自分はUSエアなのでターミナルが違う。ここでKさんとあわただしく別れて、シャトルバスでUSエアのターミナルにいく。このバスの運ちゃんは若い女性であるが、ちゃんと目当てのターミナルに行けるかどうかの方が気になって、詳しく観察はできなかった。残念。でもバスに乗れただけましだろう。会社のH君が以前ロスでターミナルを間違え、1kmくらいスーツケースもって走ったとか。無事めあてのターミナルに到着。

 いよいよ、チェックインと税関だ。人も少なくチェックインはスムースにいく。チェックインカウンターでアメリカのイミグレーションフォームを渡されると、金属感知器もない係員の通路のようなカウンターのそばを、荷物を持ったまま通って中に入る。と税関らしきところがある。並んで待っているときに整理員の女性の人に、日本語を話す人は居ないかと訊くと、突然「いち、にー、さん」と日本語で数を数えだした。それどころか意味不明の日本語の単語をしゃべっている。自分の訊き方が間違っていて、「あなたは日本語が話せるか」と言ったのだろうか。困惑した表情でみていると、「ジョーク、ジョーク」と言われて、日本語のできる人はいないとあっさり言われてしまった。
 順番が来て、係りの人のところにいく。なかなかアメリカ風のナイスガイといった感じの兄ちゃんだ。税関だから訊かれることは、金品の持ち出し関係かと、ガイドブックの項目を頭の中で復習していると、いきなり「イミグレーションフォームを出せ」と言われる。何でカナダの税関でアメリカの書類を見せなければならないのだろうか、いくらテロの後でも越権行為ではないかと思っていると、中身にまで質問が来た。「ピッツバーグに観光?」「一人でか?」とか、いかにも不審人物を見る目でこちらを見る。
 次に「行程表と日本に帰るチケットを見せろ」と行ってきた。ここまで言われて初めて、ひょっとするとここはアメリカの入国審査かなと思い始める。そういえばアメリカとカナダは、非常に近い関係なので、カナダ側にアメリカの入国審査を行うというのをどこかで読んだような気もしてきた。こんなのだったらもう少し心の準備をしておくのだった。アメリカの審査は昨日のナイアガラでも経験したが、どこか陰湿で厳しい感じがする。「英語の行程表なんか持ってないわい」的な雰囲気を心で示しながら、現実は最低限のたどたどしい英語で言う。本当はこんなこともあろうかと思って持ってきていたが、少しだけ意地悪をしてやりたかった。代わりに、ピッツバーグからロス、サンフランシスコ、バンクーバー、関空と全部のチケットを見せる。それでもなにやらいぶかしげな顔をしながらもやっと通してもらう。
 隅の方でチケットを鞄にしまっている間も、次の人も呼ばずにこちらをずっと見たままだ。アメリカンナイスガイにそんな陰険な目つきは似合わないぞ。途中の無口な高校生の方がよっぽどましだぞ。と、言い返してやった、つもりになろうとしたが、よけい腹がたってきた。次に荷物を載せるベルトコンベアがあってその前に黒人の中年女性がいる。荷物の係りかと思いきや、ここが税関。その人に先ほどのイミグレーションフォームを渡して、荷物を自分でベルトコンベアに乗せて、おしまい。カナダの空港内ではあるが、やはりここは、手続き上からはもうアメリカ国内の様である。

 でも、その後出発ロビーで、コーヒーとサンドイッチを買ったが、CA$で支払った。アメリカなのか、カナダなのか、微妙な感じだ。
 出発ゲート付近のロビーに行くと人がたくさんいたので離れたところで休む。でも、放送があれば聞き逃せないのでやはりゲート付近に行き、席が空くのを待って座る。放送があっても英語が満足に聞き取れる訳ないので気休めにすぎないが・・。と思っていると、そのうち係りの人がバッドニュースがあると言って自分の乗るフライトナンバーを言っている。よくわからないが、遅れる、フィラデルフィア、サウスキャロライナ経由のヒトはうんぬんと言っている。
 どれくらい遅れるのだろうと隣の人に身振り手振りで聞くと、3時間という。みんな一斉にカウンターに行ってフライトチェンジの手続きをしている、1時間程度ならよいが3時間はちょっときついし、みんな別の便に乗り換えてしまい、便自体が飛ばなくなったら大事だ。思い切ってカウンターに行って手続きをすることにする。でも、カウンターの中には若いあんちゃん一人、誰か手助けがないとうまくいかないだろうと列の後ろに美しい女性がいる。話しかけると一瞬怪訝そうな顔をされたが、いろいろと話してくれた。ラッキー、いざとなったらこの人に手助けを頼もうと決める。
 係りの順番が回ってきたときに、たぶん難しい話なので筆談が必要と思いメモ帳とペンを用意する。案の定、判らないので、ライトイットダウンフォーミープリーズと言ったが、無視され英語でまくし立てられる。係りにメモ帳とペンを渡そうと前に突き出すと、そこに先ほどの女性が隣からそれを取り上げオプション1、オプション2と書いてくれた。先ほどの見立ては間違ってなかった。カナダの女性は親切である。ただ係りの人が、「一緒か」と聞いてきたときは、「ノウォー」と言って強調された。当たり前か。オプション1はダイレクト便で同じ時間、2はフィラデルフィア経由だというので、1で行きたいというと、ターミナルが別なので、イミグレーションを戻って行く必要があること、会社が違うのでバッゲージもどうなるか判らないと言う。そんなのは、英語もできない自分にとってはオプションにはならない。
 フィラデルフィアがどこか判らない。南部の方の都市の名前のような気がするが、そちらならバッゲージもOK、ターミナルもここと同じと言うので、2に決める。時間も19時には着くというので、許容範囲だ。ところで、自分の持っているチケットは、ノンリーファンドなので、ルート変更が利くのか不安だったが、それは大丈夫であった。  
 ゲートNoを係りの人が教えてくれたが、場所がさっぱり判らない。と思ったらすかさず隣の女性が場所への行き方を手振りで教えてくれる。「サンキュー、ベリマッチ」といって別れると「グッドラック」と返された。たぶんこれは本音だろう。よくこんなので一人旅をしていると思ったに違いない。

 言われたゲートに行って飛行機に乗り込む。デパーチャーの時間まで後5分。事実自分が乗り込むのを待ってドアが閉まってしまう。よかった、ぎりぎりセーフだ。でもこれでは、バッゲージは間に合うはずはないだろうと、次なる心配が起こる。まあそのときはそのときだ。とにかく自分の体をピッツバーグに持っていくのが先だ。最低限の着替え等の用意はしている。それより、バッゲージが着かない時のクレームのやり方をどうするか辞書で調べておく必要がある。
 でも、フィラデルフィアってどこだろう。早速機内誌で確認。なあんだ、ニューヨークのすぐそばだ、少し安心。でも、直行に比べ2倍以上の距離だ、東京から札幌に行くのに、高松経由で札幌に行く感じの距離感だ。
窓側の席で、オンタリオ湖、エリー湖の上を通っていてよく見える。ナイアガラの真上位を通過。隣は、黒人のティーンエージャー。スレンダーで、いかにも現代っ子という感じ。カモシカのような足、小さいがはち切れんばかりのお尻。うーん。と思ったが、隣に父親らしき人がいるので、理性が働く。少しでもふれようものなら、ぼこぼこにされるだろう。
 1時間半位で到着。この機体はそのままボストンに行くらしい。一旦全員降りてくれ、クルーも交代するとのこと。早速降りて、ピッツバーグ行きのゲート前に行く。少し時間があるが、ここでまた何かあるといけないのでじっと待つことにする。ホテル到着が遅くなるので、予約キープの電話をするが、交換→フロント→テープとなり、判らず失敗。クレジットのデポジットがないので、少し心配。

 少し待ってから、搭乗開始。日本の様に機械のゲートがないので、間違ったらたいへん。半券をちぎっている黒人女性にこれでよいか念押し。よいとのことなので安心して乗り込む。窓際席で、隣はまたもティーンエージャー。今度は白人の美人系。大学生の里帰りといった感じ。その隣の通路側に同じく二十歳嫌いの白人男性。なーんだアベックかと思っていたらそうではないらしい。その男は、しきりにきっかけを作っては話しかけるが女の子に相手にされない。その娘も、つど、こちらに救いを求めるような視線を送ってくる(と勝手に自分が思っているだけかも)。また、ジュースもスナックも親切に中継して手渡してくれる。白人男性はそれを不服そうに見ている。
 この2フライトともA319の新しい機体で、機内サービスもあり、自分の好きな窓際席、隣は若い女性。気に入ったぞ、USエアウェイ。
 フィラデルフィア空港の滑走路はすごく混雑している。出発用の滑走路のほかにクロスした2本の着陸用滑走路があり、ひっきりなしに降りてくる。一方など4機の降りてくるライトが見える。そのときもう一方も、2機のライトが見える。滑走路が交差しているところで10秒ほどの時間差で飛行機が通っていた。まさしくニアミスだ。自分の乗った飛行機も着陸用滑走路を横切ったが、まるで離陸開始するかのごとくエンジンを吹かして何とか渡った。離陸滑走路でも10機近く離陸待ち。10分以上待って、ようやく離陸した。離陸直後、飛行場の近くに大きな川があり、その中に、石油基地のバースが見えた。ケベックでもあったが、こちらで川の中に、結構大きなバースがあるみたいだ。

 1時間ほどでピッツバーグに着く。途中シャトル電車に乗ってターミナルに着く。フライト名を確認してバッゲージのターンテーブルのところに行く。だいぶん待ったが出てこない。隣のアメリカ人女性の2人組もずいぶん待っている様子で、そのうち「どこからのフライトで待っているのか」と聞いてきた。自分もこれからどうしたらよいかで頭がいっぱいだったので「ソーリー。英語は話せません。」と自分でもびっくりするくらい完璧な(つもりの)英語でかえしたら、向こうも「ソーリー」と言って去っていった。なにか変。
 他のテーブルを見て回ったが、やっぱり出てこないので、インフォメーションに行く。会社ごとにあって、USエアウェイのそれで、事情を説明。うまく通じるかどうか不安だったが、毎度よくあるクレームなのだろう。すんなり調べてくれた。端末でなにやらごそごそと確認すると「F」のターンテーブルにあるという。「F」は、サイズが大きいとか、何かイレギュラーな荷物のテーブルとの表示があったので、唯一見てなかったところだったが、そこに行くとちゃんと荷物があり、安心。遅れて夜中に着くとか言われたら、どうしようか悩むところだった。これで、荷物とともにホテルに行ける。タクシースタンドの案内がないので、警備の人に聞いて行く。どうやら案内はバスの絵で、つづりは忘れたが、バスともタクシーとも違う英語を書いてあった。
 タクシーは、日産のプレーリーのような感じの車。ドライバーは黒人だが愛想がよく、自分のつたない英語につきあってくれる。「英語はほとんど話せない」と言うと、「よく話せてるよ。グッド。」と今までのお世辞風とは違った感じでいわれうれしい。「ピッツバーグは3本の川に挟まれたところでこのトンネルをい抜けるとダウンタウンだよ」といわれ、抜けるとその通り、ミニマンハッタンのような夜景が飛び込む。美しい。

 無事、ホテルにチェックイン。もう9時過ぎ。会社に電話するが、今日は体育の日で休み。疲れていたので、ピザとビールをルームサービスで頼んで、部屋で食べて寝る。 疲れた!!。



 
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2006年01月28日

北米紀行10

ナイヤガラへ(’03年10月11日(土))

 今日は12時のフライトである。が、2時間前には空港に着いていたいので9時30分にタクシーで出発する。
 空港に着くと日本人の観光客の団体がいて、添乗員らしき若い日本人がまとめて搭乗手続きをしていて、30分以上待たされる。その後の荷物の預け入れも、同様に待たされる。同胞ながら日本人団体客が嫌われるのも無理はないはずだと思う。

 ここは国内便にもかかわらずセキュリティが厳しい。ポケットのコイン、鍵を出し忘れていて引っかかる。それを手で取ろうとして係りの人に「ウェイト」とか「ノー」と言ってひどく怒られる。隣の警官は銃に手をかけてこちらを見ている。ひょっとしてポケットの中に武器があればということだからだろうか。ポケットの上からでも判るくらいに手のひらを大きくパーに開いてゆっくりと手を出す。こんなところで、1セント硬貨のためにカナダ人警官に殺されるのはごめんだ。ここででもチェックインはKさんとは別に一人でおこなう。
 Kさんは、Kさんなりに私に経験を積ませたいという配慮かもしれない。が、いくら経験でも死んでからでは遅い。と愚痴の一つも言おうと待っていたが、Kさんは例のペンダントが引っかかり、それをはずせ、はずさないとの押し問答をしている。あげく、責任者らしきごっつい人に別室に引っ張り込まれて、ペンダントをはずさされていた。

 待合室も日本人観光客でいっぱい。席が前の方なので、エコノミーにもかかわらず早めに搭乗できた。機体はこちらに来て初めてのボーイングB737だ。席は窓側で天気も良く、景色がよく見える。紅葉が一部錆色のようになっているが、美しい。また、畑かもしれないが、一角の大きさが非常に大きい区切りとなっている土地が多い、何なんだろうか。
 隣は、若い夫婦のようで、アメリカの入国カードを書いていて、ホテルはどこだったかなどと、旦那が奥さんらしき人に聞いていた。盗み見すると、観光ではなくビジネス目的だったので夫婦ではないのかもしれない。ともかく、カナダとアメリカは非常に近い感じだ。

 トロント空港で簡単な昼食を食べ、ナイアガラ行きバスの窓口に行く。少し待たなければならないようなことを係りの人が言ったので、椅子に座って待っていると、係りの人が窓口から出てきて、一つ前の便に乗れるので運転手が迎えに来ると伝えに来た。しばらくして初老の紳士風の運転手が迎えに来てくれて、バスに乗る。これも小さいバスでたぶんシェビーバン。すでに何人か乗っていて、老婦人の隣の席に座る。
 地図をみていると、なにやら話しかけてきたので、「カナダは初めてです」的なことを言うと、自分はナイアガラの近くのセントキャサリンというところに住んでいて、帰るところだと言って地図で位置を教えてくれた。
 途中運転手が無線でしきりにトラフィックアクシデントがどうとか、無線で交信している。どうやらこの先で交通事故があったらしい。途中パーキングらしきところで、他のバスと合流し、隣の婦人はそちらに乗り換えていった。交通事故は高速で発生していて、渋滞が激しいとのことで、途中から一般道を走る。住宅街の裏道らしき通りを走って、予定より30分遅れの2時間半もかけてナイアガラに到着した。
 でも途中横目で高速道路を みると完全にストップしている状態であったので、少々遅くても文句は言えない。また、事故の原因かどうかはわからないが、五大湖の特徴なのだろう、気温と水温の差から、天気も良く平地であるのも関わらず濃い霧が発生していた。

 明日はあまり時間がないので、ホテルに到着してすぐにナイアガラ観光に出る。ホテルの部屋は滝とは反対方向でナイスビューとはいかなかった。滝側の部屋でも、他のホテルの陰で滝は見えないだろう。それで観光地にも関わらずホテル代が安かったのかもしれない。
 ナイアガラの滝は、エリー湖からオンタリオ湖に向けて流れ落ちる滝で、滝による浸食によって、位置がだんだんエリー湖側によってきているらしい。(もっともこれは万年単位のはなしであるが)滝自身は、大きく分けてカナダ側にあるカナダ滝とアメリカ側にあるアメリカ滝に別れていて、その間にゴート島という島がある。滝の下流側に橋があり、そこがカナダとアメリカの国境になっている。
 まず、カナダ滝の方から行ったが、観光客の多さにびっくり。日本の観光地とそっくりな感じ。滝からの水しぶきで、辺り一面濡れている。Kさんはその中を大急ぎで歩いていく。こちらは疲れているし観光地なので景色を見ながらゆっくりと歩きたいのだが、必死に付いていかないと人混みに紛れて見失いそう。Kさーん、もう少しのんびり行こうよーぅ。

 橋を歩いて、アメリカ側にいく。橋の料金は50セント(CA)。カナダ側の通関は問題なくすんだが、アメリカ側の入国審査で引っかかる。この旅で、アメリカに入国するのが初めてなので、イミグレーションカードがなく随分と手間取ってしまった。その上空港であれば飛行機料金に入っているはずの6米$をとられる。米ドルを持ってきていてよかった。Kさんは、アメリカに入国してからカナダに入っていたのでノープロブレムで入国できた。
 アメリカ滝のそばまでいく。こちらは、カナダ滝と異なり、滝のすぐそばまで行ける。遠くでみるのも雄大だが、近くでみるのもなかなかの迫力であった。そのあと来た橋を戻ってカナダ側で食事をする。ホテルでお勧めのレストランを聞いてなかったので、適当に入る。町自体も日本の観光地とそっくりで、入ったところも、ファミレスそのもの。値段も安いし、客も子連れ、年寄り連れなど、日本と同じ感覚。

 とにもかくにも、ここで、Kさんとお別れである。営業の人ではないので、派手なアテンドではなかったが、つかず離れずのサポートありがとうございました。改めてお礼を言った。



 
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2005年12月10日

北米紀行9

ケベックシティへ(’03年10月10日(金))


 今日はケベックシティに行く日だ。フライトは10時発。ホテルは8時15分出発の予定。ケベックシティはケベック州の州都で歴史のある古い街で、今回の出張でも一番楽しみにしているところだ。
出発の前に、今日はシンポジウムの朝食会がある日なので、それを食べてから行くことにする。7時30分からの朝食。さすがに夕べのディナーが遅かったので、来ている人は少な目である。内容も、コンチネンタルで、パン、コーヒーと果物だけで肉、卵類はない。8時30分頃から、講演があるらしいがその前に失礼した。


 ベルボーイに預けていたバッゲージをもってタクシーでモントリオールドーバル空港ドメスティックターミナルに行く。こちらは各都市に空港が複数あるし、ターミナルも国際線、国内線、航空会社により異なるため、タクシーで頼むときはきちんと言わないといけない。実際、自分もこのあとトロントで同じアメリカ行きでも会社によりターミナルが違っていたため空港内をシャトルバスで移動したり、サンフランシスコからバンクーバーが国内線乗り場とは知らず、もう少しで間違うところだったりする事になる。

 20分程度で空港に着く。今日から、北米内の移動はエコノミークラスだ。チェックインもエグゼクティブのように英語ができなくても優遇されるということはないだろう。それに加えて混雑も心配だ。が、今日は空いていてスムースに手続きができた。ただ、順番を待っているときに若い女の娘が泣きながら列を無視して係りのところまで行って何やら言っている。どうやら自分の乗る便の時間が迫っていて焦っているらしい。係りの人は、大丈夫だという感じのことを言っていた。こちらではセキュリティチェックが厳しいため「30分前では間に合わなくて放って行かれることがあり、最低1時間前でないとダメだ」ということをサンフランシスコのタクシーの運ちゃんも言っていた。

 チェックインは、なぜか同行のKさんは別のカウンターに行って自分とは一緒に来ない。
 次に、セキュリティチェックも無事終わりと言いたいところだが、Kさんは、胸に掛けたペンダントが引っかかり、何やら係りの人に説明している。911テロ以降何があるかわからないので、お守りをいつも肌身離さず持っているとのこと。

 搭乗口前のロビーは、田舎の空港そのもので、国際線のロビーとは大違いである。旧の高松空港とそっくり。
 ケベックシティまで行く飛行機も、Dash−100とかいう30人乗り程度の小さな飛行機で、たしか6月に札幌丘珠空港から稚内に行った飛行機と同じだと思う。満席で、通路側だったのであまり外は見えなかった。
 短いフライトであるがマイケル富岡にそっくりなアテンダントが一人で、ジュース(ぷっちんプリンのような容器に入ったもので配る手間が掛からないようにできている)とパンとスナック菓子を配っていた。欧米の飛行機は移動の手段に徹していてサービスはあまりないと思っていたが、ここまで乗ったエアカナダは日本のよりもサービスがいい感じ。

 40分程度のフライトでケベックシティにつく。ここは、ケベック州の州都であるが、人口も65万人程度と小さく、空港もローカル空港ののんびりした雰囲気である。空港で係りの人に聞いてみたが、市内までのアクセスもガイドブックにあったようにタクシーしかないとのことなので、タクシーで市街地まで行く。運ちゃんによると、10月は観光客が多く、日本人もたくさん来るという。タクシーは儲かって良いのではと思ったが、混雑は嫌いだといっていた。このあたりが、日本人の気質とは違うところだと思う。
 20分くらいでヒルトンケベックホテルに着く。まだ、12時前だったがチェックインできた。ホテルは、城壁に囲まれた旧市街ではなく、州議会議事堂の隣の高台にあり、部屋からは、旧市街が一望できるナイスビューだ。カナダに来てから、バンクーバー、モントリオールと来たが、そのたびに町並み、建物等に歴史を感じて感動してきたが、ここケベックシティは格別である。さすがに世界遺産の都市である。

 小さな街なので、歩いて観光する。ホテルの近くの城門をくぐって旧市街に入る。とたんに、そこは中世ヨーロッパの様。ガイドブックにものっていないものも含めて街全体が絵はがきにある。
 ノートルダム聖堂にはいる。ここは、カメラ撮影は良いがフラッシュはダメだと書いている。カナダは、フランスの影響だろうか、ノートルダム寺院が各地にある。自分は残念ながら、雰囲気しか判らないが、それぞれに歴史があり、雰囲気や中の色調等も異なり、専門家であれば興味が尽きないのではないかと思う。
 旧市街は殆どが石畳の道であり、メインストリートらしき通りも片側1車線が精一杯である。その通りにある小さなレストランで昼食をとる。イタリアン料理の店で、結構はやっているようであるが、テーブルも小さく通路も狭く、家族で切り盛りしていて観光客相手ではなさそうな店であるが、そんなところがかえっていい雰囲気をかもし出している。
 ウェイトレスの人が勘定書を一緒にしますか、別々にしますかと聞いてきたが同行のKさんはきょとんとしている。あとでKさんに聞くとそんなことを今まで聞かれたことはないのでなにを言っているのかと思ったとのこと。一緒にしてもらった勘定書を持って再度ウェイトレスが来たときに、サービス料を加えていますといって、メニューより高い金額を書いているにもかかわらず、Kさんはチップが必要だといい張るので、チップを加えて支払うことにした。今までKさんと一緒にいて明らかに自分より格段に英語能力が高いにも関わらず、こんなにとまどったのは、やはりチップの風習はむつかしいということだろう。

 ここでは、ひたすら町中を若いミーハーの女性観光客のように歩き回る。700mほどの木製のテラスになった遊歩道をまず歩く。至る所に大道芸人がいて、それぞれ異なった芸をしている。近くによるとなにやら許可証のようなものを持っていたので、一応審査にとおったものがやっているのだろう。


 全身に金粉を塗ってひたすらじっと立っているだけのひと、ふつうにギターで弾き語りをしているもの、犬に芸をさせているものなどいろいろだ。でもよく見ると2流3流のものもいて少し興ざめだ。たとえば、犬の芸では、10引く1は、と言って、犬にワンと言わせると言った駄洒落にもならないようなもの、もっともこれはあちらでは犬の鳴き声の擬音はワンではないので斬新なのかみんな笑っていた。また明らかに先天性の障害者と思われる方がギターの弾き語りをしていて、それが完全に音痴で下手にも関わらず、同情からか、ギターケースの中はチップのコインでいっぱい。それを仲間らしきやくざ風なものが集めに来ているのをみたときには、日本の裏社会と同じようなものを見てしまった気分になり、白けてしまった。
 でもそんな興ざめはごく一部で、ここはやはり美しい街である。北米最古の商店街といわれ煉瓦作りの家が並ぶプチシャフラン通り(これなど名前からすると男二人で観光するのも気が引けるが、中世ヨーロッパの町並そのもので、ハリーポッターで主人公が魔法の指揮棒を買いに行った街のような雰囲気の街)や、そこに隣接する勝利のノートルダム教会など。

 それにしても、このあたりはやたら日本人観光客が多い。それらの団体と自分たちを同一視してほしくない気分は少しあるものの、実益をとって、彼らのそばによって日本語の観光ガイドの説明を聞く。
 その後、1759年の英仏戦争の激戦地であるアブラハム広場に行く。広大な芝生広場である。そこは少し高台になっていてセントローレンス川がよく見えるが、川の途中に大型のドルフィン型の石油タンカーバースがある。タンクヤードは少し離れた高台の上にある。6万tクラスのコンテナ船が悠々と通っていたので、VLCCまではいかなくとも、パナマックス、アフラマックスクラスは着桟できるバースだと思う。そうなると川の流速はせいぜい1m/SECくらいしかないのだろうか。興味がわくところだ。以前、外航船の船長出身で神戸商船大学の客員教授もしておられるN科学の副社長の話で、海外ではSCバースより厳しいところがあるといっていたが、ここなどそれに当たるのかもしれない。

 最後に、イギリス軍が作ったという要塞であるシタデルというところにいく、ここは現在でもカナダ軍の衛兵が、衛兵交代を行ったりしており、観光向けではあるが、軍の施設である。入り口に「・・・・STOP」と書いたバーが降りていたが、K氏がそれを抜けて進んでいくので、「・・・・」の部分の意味はてっきり「車」という意味で「人」はOKなのかと勝手に解釈してついていくと、後ろから、2mくらいの身長の軍人が小銃を片手に追ってきて、看板が見えないのかとと言われ、びっくり。「見るだけだ」というとすんなりと中に入れさせてくれ、「写真は撮らないのか」とまで聞かれた。また、「これが上司にばれたら自分は首になるよ」との冗談も出できて、ほっとする。やはり観光用の軍人で、ただ公開時間が過ぎていただけのようである。

 夕食はコンサージュに聞いたおすすめの店に行く。こちらはホテルからは旧市街と反対側に1km程度行ったところにある。途中曲がり角を間違えて暗い住宅街にを抜けていったり、人に聞いたりしながらたどり着いた。見るところでは治安は良さそうで、実際店にはいると、老人婦人会の集まりのようなグループもいるなど、日本と同じような気楽さであった。店の名前は「グラフィティ」とか言って、一瞬ストリップ小屋のような名前で、Kさんが入るのに躊躇していたが、ここまで来たのだからといって私から入っていった。期待に反してというか期待通りというか、なかはふつうのレストランであったが、コンサージュおすすめだけあって、安くてうまい店であった。満足。
 ここではKさん。勘定書きにチップが入ってないにもかかわらず、チップを出そうとせず、店の娘にチップが入ってないですよと言われていた。kさんの行動は、学者らしく?少し不可解。
 また、この店でも勘定を一緒にするか別々にするかを聞かれた。この地方の特徴なのかもしれない。

posted by ミスタースージー at 21:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 700年遅れの西方見聞録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月05日

北米紀行8

シンポジウム2日目(’03年10月9日(木))


 昨日は、ハウスキーピングの人がでて行ってからそのまま朝までぐっすり寝る。起きたら6時だった。まだ、外は暗いが、もう通勤ラッシュが始まっている。
 相変わらず、朝食のみK氏と地下の店に一緒に食べに行く。ここで覚えたのは、ホワイトチーズとクリームチーズ(ホァイッチー、クリッチー)の選択ほか、白パンか黒パンか(ホァラライ?)、目玉焼きは片面(サニーと言うらしい)か両面焼きかの選択を聞かれることである。
 ナンバーで頼むファストフードなのに、こんなことを追加で聞かれるとは思ってもみなかった。英語ができないものの最後の砦「ファストフード」は、昨日のチャイニーズの件とここの一件であえなく崩れ去った。あとは世界共通の”Mac”のみが頼みの綱かもしれない。


 今日はD研のN氏の発表がある。一昨日夜も発表はできるのだがその後の質問にうまく答えられるだろうかと心配していた。彼はたしか平成3年頃の東大卒らしい。そんなばりばりの人でも言葉のハンディは依然存在しているのかと思うと、日本人のハンディキャップをつくづく感じてしまう。発表を聞いたが、日本人の英語なので自分としてはネイティブの人が話すよりむしろわかりやすいくらいだが、緊張であがっているのがよくわかるし、周りの外人の人も、なにやらおもしろくなさそうな仕草をしている。一昨日から何回か話をした程度であるが、同じ日本人だからか自分のことのように心配してしまう。これがたぶん同胞意識と言うものだろう。

 N氏の発表のあとおもしろい発表もなく、退屈になり近くを散歩する。「世界の女王マリア大聖堂」にいってみることにする。


 途中ベビーカーを押した若い夫婦にフランス語でなにやら尋ねられた。シチュエーションからするとたぶんどこかに行く道を聞いているのだろうと思うが、当然わからない。なんと答えようかと迷ったが、昨日のファストフード以降、自分はチャイニーズ。「日本人なのでわからない」とは言いたくない。こんな時はどういうのだろう、ポケットには電子辞書があるが、何の役にも立たない。気持ち的には支度金のほとんどをつぎ込んだ電子辞書(ほかに若干マザーボードにメモリーに中古のノートPCにフィルムカメラのレンズとかもろもろたくさんのものを買うには買ったが・・・)。みんなへの土産をあきらめてまで買ったものなのに、ここまでオンラインではほとんど役に立っていない。
 ここはチャイニーズの意地をかけてでもかっこよく切り抜けたい。「Foreigner」と言うのだろうか、でもこの言葉はよそ者とか と言うニュアンスがあると聞いたことがある。こういうときに限って「Visitor」とかの簡単な単語がでてこない。ここまで時間にしてたぶん0.5秒はないだろうが、そろそろ焦ってきた。そんなとき、ふと20年前の英検2級のテキストのフレーズを突如思い出したのである。人間のリアルタイム能力はリアルタイム電力系統シミュレーターよりすばらしい。
そう「Stranger」だ。ストレンジャー、何と言ういい響きだろう。お姉さん役の赤レンジャーがリードしていたあの無敵のゴレンジャーよりすばらしい。まるでビリージョエルの唄うニューヨーク5番街の響きだ。
 「Sorry,ma’am.I’m Strager here myself」といったら、向こうもSorryと言って去っていった。どうにか文盲の日本人の姿をさらけ出すことはさけられた。
 その後、マギル大学というところに行ってみた。カナダで一番ふるい英語系の大学らしいが、博物館のような歴史的な建物、緑の芝。大きな木の本で木の実をほおばっているリス。すばらしい、うらやましい限りの環境だ。ここでも気分はチャイニーズプロフェッサー。

 チャイニーズ気分の散歩も30分で切り上げ、昼食を取りにホテルに帰る。今日の昼食は本格的なもので前菜からデザートまでそろったフルコースだ。加えて、目当ては昼食時にある8月の北米大停電の特別講演だ。前から2番目くらいの良いテーブルを確保したのと、パワーポイントと言っている内容が近かったので少しは理解できた。このシンポジウムに来てわかったが、パワーポイントはレジュメもしくは導入で、話す内容は全く別という方が多い。
 話していたことは、ほとんど今までNERCなどが発表した内容であった。これは、訴訟社会のアメリカでは先走って予断を交えて話すことはできないと言うことだろう。後日ペンシルベニア州で企業訪問した折りに、北米大停電のコメントも求めたときも、それまで饒舌だった相手が急に口ごもったりしていたことからも想像できる。


 なかでも、ニューヨークの周波数の変動のグラフは初めてみたが、63Hzまで2回跳ね上がっているし、低下側でも58.4Hzまで下がっているなど、周波数の安定したアメリカでは考えられないくらいの変動だ。対するMISO側の周波数はあまり変動していない。また、ニュージャージーのどこかの変電所では電圧が50%程度に下がった後また100%に戻るなどこれも  大きな変動をしている。いずれにしても、正確な発表が望まれるところだ。でも莫大な訴訟を考えると迂闊な答えは出せず、結局あいまいに終わるのかもしれない。
 この講演で、K社のY支配人、名前は忘れたがM社からGEに移った方と一緒のテーブルになり、いろいろと話すことができた。

 北米大停電の話も聞けたので大分満足。午後からは観光に当てることにする。明日はケベックシティに行くのでモントリオールは今日中にみておく必要がある。
 今度はオールドモントリオールの方に行ってみることにする。こちらもホテルからはそう遠くはないので歩いていく。お目当ての「ノートルダム教会」に入る。ここは、マリア大聖堂と異なり、5$の入館料が要った。中に入って驚くのはみんな写真をしかもフラッシュ付きでとっている。一応係の人に聞くと、フラッシュもOKと言われて、びっくりした。やはりここは観光地である。


 しかし、壮厳な雰囲気に感じ入ってしまったのか、若い女の子が泣きじゃくっていたのが印象的であった。やはり宗教観の違いか。
 外には観光客がたくさんいる。旧市街の方が観光スポットのようだ。若い観光客の女の娘をつかまえて写真を撮ってもらう。お返しにこちらも写真を撮ってあげる。でもそれ以上は会話もできず、おしまい。
 そのあたりを一通り散策して、今度は地下鉄に乗ろうと駅に行ってみたが、すごく汚い上に、切符売り場や販売機も、さらにはルート図の掲示もない、よく見ないと駅とはわからないくらいだ。。改札も回転バーがあるだけで駅員はいない。そのそばに事務所みたいなのがあるのでそこで切符を買うのかもしれないが、、そもそもどこに行くとも決めていない状況なので、説明もできない。仕方ないので、あきらめて歩くことにする。こちらに来てからやたら歩く機会が増えている。博物館まで歩くことにした。ホテルを挟んで反対方向である。30分ほどで到着、人口の割りに大きな街ではない。人口は確か260万人、札幌、博多より少し多きなくらいだろうか。その割りにダウンタウンは小さい。ちなみにこちらで市街地をダウンタウンとは呼ばず、センタービルと呼んでいる。フランス語の影響だろうか。


 あいにく博物館は開館時間が過ぎていて入れず、外回りを鑑賞する。ホテルへの帰り道、物乞いの婆さんにであう。一瞬目が合ってしまったが。無視して通り過ぎると、少し追いかけてきて、金の入ったカンカンを上下に振ってジャラジャラ音を立てながらなにやら叫んできた。なにを言っているのか全くわからなかったが、目が合ったら少しは恵まなければならないとか、何かルールがあるのだろうかとも思う。途中繁華街の中を通る。まだ明るい時間帯であるが、ライオン通りにいるようなポン引きの兄ちゃんがよってきて、なにやら怪しいお誘い。ここは先ほどの経験を生かし目が合わないようにしながら無視。でも、すこし心残り。というのも、いろいろ準備をしてくれたM君からモントリオールには安全できれいなストリップがあったとの情報を聞いていたのだが、店の名前を忘れてしまった。まじめなアテンドK氏では、そんなところに行くことは期待できないから、一人でもチャンスがあればと思っていたからである。あとでロスでIPPの社長と話した時にも、モントリオールのストリップは、この世のものとは思えないくらいきれいだったといわれてまたまたショックを受けてしまった。M君にメールしてでも確かめるんだった。


 夜は、バンケットディナーがある6時30分からだというので少し前に会場に行く。ここまではアテンダーのMさんとはつかず離れずの行動。朝食は一緒だが、聴講するセッションも別、夕食も二人ではまだ食べていない。昼食は、同じテーブルにいるがお互い他の人と同じくらいの距離で話をしているだけ。もっともこんなところで、自分は英語ができないのでアテンドをしてもらっているというのでは、我が社の恥になるし、Kさんも会議の委員をしており、そんな方がアテンドをしているというのもプライド上言えないのか、たまたま一緒になったというスタンスで皆に通している。ある意味こちらもありがたい。

 でも今日は、長い時間のディナーなので、誰か日本人と同じテーブルにつかなければ間が持たないと思い、Kさんほか日本人が集まっているところに行く。本当はこういうときには外人と積極的に話すべきなのかもしれないが、英語がうまくできないのでどうしようもない。たとえ英語ができたとしても国際会議体の閉じた世界の中のサロンでは、やはりはなせないだろう。近くにH大のT先生という方がおられて、名刺交換する。T大におられた先生のようで系統関係では有名らしい。奥さんと来られていて、夫婦共々、外人の方からの挨拶が引きも切らない様子であった。会場のまえのロビーでワイングラス片手に、会場の悪のをみんなで待っているのだが、いっこうにあく気配がない。外人は全く気にしない様子であちこちで会話をしている。周りの日本人も遅いと思いつつも、平然を装っている感じ。自分は昼間歩きに歩いて疲れているし腹も減っており、そこにワイン4杯を飲んでしまったので、酔いが回り早く座りたい。待つこと1時間強、7時40分にやっと会場が開く。ディナーの内容も充実していた。会場入り口にスポンサーの名前を書いた看板が出ているが、司会の方は紹介もしなかった。内容からして相当出しているはずであり、紹介がないのは日本であればクレームものだろう。


 カナダに来て、バンクーバーとこちらでは、やはり料理の感じが違う。バンクーバーはアメリカっぽい大味なのに対して、ここモントリオールはフランス風でありおいしい。ここの料理であれば、食べ物が受け付けずオレンジジュースしか飲めなくなるという心配はなさそうだ。2時間かけてゆっくり食べる。デザートを食べ終わったころからオペラが始まる。どれくらいうまいのはわからないが、少なくとも場末の演劇士ではなさそうだ。観客をステージに引っ張ってのパフォーマンスも加えてなにやら物語りを構成している。雰囲気はおもしろかったが、言葉だけのジョークで周りが笑っているところは、わからず笑えない。11時前になって、やっとお開き。どっと疲れる。外人はよくもまあこんな疲れることをするもんだ。あすのケベックシティ行きに備えて、疲れた体に鞭を打って荷物をパッケージングしてから、ねる。
 出張も、今日で第1ステージ終了だ。

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2005年10月22日

北米紀行7

シンポジウム初日(’03年10月8日(水))


 オープニングセッションが始まる。司会は主催者のひとでたぶんフランス人だろう。抑揚が大げさで歌でも歌うような感じで話をしている。ここまでおおげさだと気取ってるととるのではないかと感じるほどであるが、格調高くするとこういう感じなのかも知れない。昨日のカクテルパーティでも感じたが、なにか、サロン的な雰囲気が強い会議だ。Kさんに聞くとCIGRE自身がヨーロッパ人のサロン的なものであるが、ワールドワードのイメージを出すため諸外国も入れているといっていた。メーカーとしては、そのような会議体であってもそこで規格が決定されるので影響が大きいため着目しているとのこと。
 はなからわかっていることだが、話している英語があまりわからない。簡単なところは理解できるのだが、ジョークなどはさっぱり判らない。もっともこれは英語ができても、社会的背景、近々の話題等を知っていないと笑えないものが多いらしい。
また、昨日から少し感じていたことで、英語ができない自分のひがみからかも知れないが、日本人の”国際会議に来ているもの同士の優越感の共有”的なものが見え隠れしている感じがする。ひょっとすると日本では、ビジネスの第一線ではなく研究畑として企業の中で隅においややらているのかも知れない、と思ったりもする。でも、やはりひがみ根性か、と反省。


 昼は、ビュッフェ方式の昼食。やはり一皿にごちゃごちゃ載っていると食べにくい。特に汁物があるといやな感じである。外人は気にせず山盛り注いでいる。
 日本人同士が同じテーブルになったので名刺交換する。W大学のI先生など有名な方も来ている。委員会のほうに来たのかと思ったが、話を聞くとどうもそうではなくこのシンポジウムのためだけに来たようだ。でもこの方は、すり込みというか思いこみというか、ある程度のところで自分の中で論理を組み立てた以降は人の話を聞かない感じがする。だいたいにおいて学者はそのようなところがあるとは思うが、このような方が自由化議論の中で発言力を持っていると難しいこともあるかもしれない。


 午後、一応個別セッションを聞く。ここからはいくつかの会場で分科会的はセッションであるため、一人で聞いているので、わからないところがあるとちょっと隣に聞いてみるということもできない。また、内容も午前中に比べ専門性がたかい。そのため、午前中より理解度が落ちる。途中まで聞いてあきらめてビジネスセンターでメールチェックをする。バンクーバー以降、いろいろパソコンをいじってみるがどうにもならない。だんだん酷くなる感じだ。あきらめてビジネスセンターを活用する方が早いと割り切ることにした。
 場所をコンサージュに聞く。コンサージュとは、ホテルでいろんな相談、たとえばおいしいレストランはないかとか、いい観光地はないかとかを聞くところらしい。語源はフランス語のようだ。
 地下1階におりて、係りの人とやりとり。自分がそう思うだけかもしれないが、これは完璧にうまくいった。その前に、昼、T/Cをキャッシュに交換するのも、フロントでスムースに英語で対応できた。こんなことの一つ一つが単純にうれしく思う。
 そんなこんなで夕方を過ごしていて、みんなと夕食に行くチャンスを逃してしまう。K氏も今日は用事があるらしい。そういえばこちらに来てK氏と夕食を一緒にとっていない。まあ、英語が不慣れな者のアテンドをしていますという顔でみんなの前でいられるよりはこちらも良いが、食事は一人は寂しい。


 仕方ないので、近くを回る。朝食をとった地下も全部しまっている。国鉄に相当する汽車の駅の近くに行くが、なぜか閑散としている。一軒ファストフードの店があったのでちょっとわびしいけどそこでハンバーグを食べることにする。隣のレジでたまたま日本人の若い女性が「ナンバーツーを一つ(なぜか日本語)」といいながら指を二本立てている。案の定、なかからでてきたのはハンバーグ二つ、しかもNo3のセット。どうやらツーをフランス語の3に、指の2本を個数に解釈したようだ。その子も泣きそうな顔をして、半分日本語で文句を言っているが、係りの黒人の女の子たちはどうやら英語もうまく話せないらしい。フランス語対日本語の戦いだ。日本人の娘はかわいいので助けようとも思うが、こちらとて自分の注文で精一杯。その娘には悪いが、チャイニーズの振りをして無視してしまった。

 疲れて、ホテルに帰り、ベッドに倒れていると知らぬ間にうとうとしてしまった。そこにハウスキーピングの女性2名組が、ミネラル、氷、チョコをもってやってきた。昨日もそうであるが、結構遅い時間に持ってくる。そのため、2人組なのかもしれない。自分なりに、「ちょっと寝てたよ。ごめん」という感じのことを言いながらドアをあけると、えらく恐縮してあやまりながらベッドカバーまで開けてくれた。ひょっとして、きつい言い方の英語だったのかもしれない。


 
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2005年09月24日

北米紀行6

テクニカルツアー(’03年10月7日(火))


 朝7時前に目が覚める。早い目覚めだがぐっすり眠れたせいか快調な目覚めだ。もう時差はとれたようだ。
 7時40分。レジストレーションを行う。これで、とにかくシンポジウムには参加できる。今日のテクニカルツアーも申し込めていた。その後Kさんと朝飯に行く。ホテルのレストランは高いし、込んでいる。メトロの駅に行く途中の地下2階に食べるところがあるという。こういう情報は、旅慣れないものが、しかもその土地で初日という状況では非常にありがたい。
 行くと、やはり店の人はフランス語。若い兄ちゃんで顔もラテンフランス系。ゴクミの旦那で、F1レーサーだったジャンアレジに似たスケコマシ顔。エッグドマフィンを頼むと、「ホワィッチー、クリッチー」と聞いてきた。ホワイトチーズか、クリームチーズかと言うことらしい。こういったやりとりを一づつ経験しないと英語はだめなのだろうと思う。
 9時にテクニカルツアーの集合だ。20数人くらいあつまっている。今日はカナダにきてはじめての快晴だ。やはり天気のいいのはよいものだ。こんな日にツアーにでられるのは最高だ。ハイドロケベックの人が案内してくれてバスまで行く。その前に事務局の人からパスポートを持って来いと言われていた。セキュリティ面からだろうが、やはり911のせいだろう。
 バスに乗り込む。バスといってもシェビーバンの後ろが長く広い程度のもので結構古い。こちらに来て昨日のタクシー以外新しい車に乗っていない。車は道具と割り切っているのだろうと思う。


 

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2005年08月27日

北米紀行5

モントリオールへ(’03年10月6日(月))
                  (EDT:東部夏時間、日本時間より13H遅れ、WDTより3H進み))



 さて、今日からが出張本番だ。初めての外国の国内線。手続き等わからないので早めに空港に入りたい。古そうなホテルなのでチェックアウトの計算に時間が掛かるかと思ったが、さすがにオンライン化されていてすぐできた。今、朝の7時、順調な滑り出しだ。
 10分くらいホテルまえでバスを待っているとベルボーイが来て次のバスは7時40分だと言う。自分の持っている時刻表には7時10分があるのに、聞くとそれはここには止まらないと言われた。そんなことだったらビデオ代を交渉するんだったと後悔。と言うのも昨夜10分くらいビデオを見たところで止まってしまい。その後見れなかったのに請求書には入っていた。これを、慣れない英語で文句を言っているとバスに間に合わないと思い断念したのに、もったいないことをした。まあ、見たビデオがあの種のビデオなのでたとえ日本語でも言いづらいのであきらめる。


 

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2005年07月30日

北米紀行4

バンクーバー一人歩き(’03年10月5日(日))


 朝早く目が覚める。やっと体調ももどり腹も空いてきた感じがする。早速一階に下りて、ホテルで朝飯とでも行こうかと思ったが、朝から二〇$近くも掛けるのはもったいないなアとか思いつつレストラン前でメニューをみていると、同じエレベーターに乗っていた白人男性も同じように躊躇している。何か、人間同じなんだなあと妙に納得したが、そいつの前でついカッコつけて入ってしまう。
 大学生のバイトのような若い女の子がメニューを持ってきてくれ、コーヒーを入れてくれた。せっかくだから日本で言うところのバイキング、こちらでは「バッフェ」と言うらしいが、食べ放題のものにする。となりでは、同じ頃に入ってきた三人組が注文もせず二〇分くらいはなしている。こいつらただでコーヒーだけ飲みにきたのかと思っていたら、三〇分くらいたってから注文をしていた。夕食に時間を掛けるのは聞いていたが、朝飯前にこんなにだべるとは思っていなかった。これでは「朝飯前」という表現の意味も変わってくるくらいだ。
 腹一杯になったところで、先ほどフロントでとってきた観光案内を広げて今日行くところを物色していると、先ほどのウエイトレスが、中腰になって、顔を近づけてなにやらはなしてきた。どうも、おすすめのスポットがあるらしい。聞くと水族館だという。水族館には興味はないが、至近距離での会話だったこともあり、彼女の息づかいが気になって、少しドキドキ。
 日本からきたというと、昨年日本に行ったという。札幌と苫小牧に行ったが四国と言うところは知らないと言われた。カナダ人からみた日本の印象を知りたかったが、そこまでの会話力はない。残念。でも朝から可愛い娘と話ができたので気分がいいのでチップをはずむ。一人の食事も悪くない。


 

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2005年07月16日

北米紀行3

バンクーバー到着(’03年10月4日(土))
          (WDT(西部夏時間:日本時間より16時間遅れ))



 定刻より少し早めにバンクーバーに着く。着陸もスムースで、逆噴射も余り強くかけない。ただし、離陸時とは違い、食器、グラス等に加え、ヘッドホンまでも、安全のためと言って回収していった。


 ボーディングブリッジに降りたとたん火災報知器が鳴ってずいぶんと待たされる。その上、入国審査のところで、台湾か香港の団体がいて、ずいぶん入念に審査されている。結局1時間以上待たされたが、自分の時にはおきまりの入国理由、滞在期間、ホテルを聞かれただけ、背広姿の男ひとりで「観光」と言ったので少しいぶかしげな表情をしたが、1分もかからず通過。税関も書類を渡しただけでノーチェック。何より、バッゲージをタグと照合なしで、勝手に持っていけるシステムになっていろことにびっくり。日本の空港とは大違い。関空行きのバスでさえタグを照合されたのに。こちらの方はバッゲージには貴重品は入っていないということが常識となっていて、そんなのものを持っていく輩はいないということかも知れない。


 バッゲージ受け取りの出口を出ると、看板を胸に持った出迎えの人がたくさんいる。中国人らしき人がたくさんいる。白人よりも多い感じ。サーズの時も中国からカナダに飛び火したし、香港返還の時、香港のものが相当たくさんカナダ国籍を取得したということも聞いたことがあるが、中国とカナダは案外近い関係なのかも知れない。でも先ほどの、入国審査を見ているとカナダ側はそれを好意的には思っていないのかも知れない。 



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2005年06月25日

北米紀行2

待ちに待った出発(’03年10月4日(土))


 いよいよ出発の日がきた。ここまでたどり着くまでに本当にいろいろな人に世話になった。ふつうの会社であればこんなことをしてまで海外出張にいくのは、社長などよほど偉い人のいわゆる外遊だけだろう。そう思うと、こういうチャンスをいただけることはありがたいことだし、是非仕事だけではなく、この出張でしか得られないものをもって帰りたいと、心の中ですこし意気込む。
  こういうときは、小さいころの遠足の前日のようになかなか寝付けないものだが、今回はあまりに準備に手間がかかったせいか、いざ出発を迎えると逆にもう半分以上終わったと言う感じもして、逆に昨夜もよく眠れた。
  九時に家内に高松駅まで送ってもらう。バスは一〇時五分発なので一時間以上時間がある。となりでは、ハーフの子供とその母親らしき日本人が大量の荷物とともに待っている。里帰り後の帰宅なのだろう。もう少しすると、海外赴任風の男性とかが、加わってきた。 そうこうしていると係りの人がきてバスのトランクに荷物を預けるタグをつけられた。関空で荷物を受け取るとき半券を渡すシステムだそうだ。みんな関空で降りるのだけなのに結構厳しい。関空で荷物を間違えたドジな人がいたのかもしれない。




 
続き
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2005年06月04日

北米紀行1

ー700年遅れの西方見聞録?ー


2003年10月に行ったカナダアメリカ出張について書き留めておきたいと思い、当時の日記をもとにペンをとりました。


はじめに


 7月頃に話が持ち上がって以降、社内外問わずいろいろな方々の世話になり、この出張が実現に至った。われわれ中間管理職も是非とも海外出張をすべきであると理解を示してくれた部長を始め、留守の間実務面で何かとシワをかぶることになる部下の者。また、海外留学の経験を生かしていろいろと準備を手伝ってくれたMくん、また、出張先でのセットを手配してくれた方々、特に途中の国際会議をアテンドしてくれたKさんなど。とにかく、たかだか半月の出張であるが、たくさんの方の理解と協力の上に成り立った出張であった。感謝の念に耐えない。


 そのような貴重な機会となった出張であるので、会議出席、企業訪問だけの報告書では味気ない。たまたま、私は英語が出来ないし、また、海外は南の島に行ったことがあるだけである。そのような者が半月間、少なくとも途中の移動、ホテル等は殆どが単独行動という無謀な旅をしたのであるから、「英語が出来ない」「海外の旅のシステムを知らない」というないないづくし、ほとんどヘレンケラー状態で過ごした四六歳、中年男の初体験を記録しておきたい。

posted by ミスタースージー at 23:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 700年遅れの西方見聞録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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