2006年04月11日

北米紀行15

 前回、忘れてしまいそうなのでしばらく集中的に書こうと考えていたのだが、つい面倒くさくて後回しになってしまった。反省。


風力発電所見学 (’03年10月16日(木))


 今日の風力発電所見学で、オフィシャルな日程は最後である。九時にG氏がホテルまで迎えに来てくれる。とにかくこちらでは車がないと身動きがとれない。いろんな方に迷惑をかけてしまう。ホテルから200km、高速で約2時間。途中、片側6車線という大規模な高速道路を通っていく。ロス行きである反対車線はコンボイの軍団だらけ。改めて、アメリカの車社会ぶりを痛感する。
 一番左車線(日本で言う追い越し車線)には、カープールと書いてある。G氏に聞くと2名以上乗車するとその車線を通ってよいとのことらしい。我々は2名なので当然その車線を通っていく。見ると違反している車はないようだ。カローラクラスの車で80マイル(時速約130km)以上で荒れた道をとばすので結構くたびれる。

 走行していると、山の陰から突然無数の風車の群。聞くと2000基以上あるらしいが、多すぎて誰も全部は数えていないとのこと。風もロッキー山脈からの吹き下ろしで、年中一定の風がコンスタントントに吹くらしい。日本とはかなり違う環境だ。
 先方の事務所について、おきまりのプレゼンを受ける。やっぱり英語。う〜苦しい。
 担当のR氏の話では、急に電力会社の変電所作業が入って、見学させてもらうM社の風車はすべて止まっているとのこと。訴訟社会のアメリカのことなのでさぞかしその辺りは神経質になって、原因やなにやらを根ほり葉ほり聞いているのかと思いきや、存外あっけらかんに「なにがあったのかなあ」などと話していた。現場の担当者は案外のんきに仕事をしているようだ。たぶんそれぞれの担当がキチンと決まっておりそれ以外は関知しないというやり方なのだろう。

 M社とジョイントしているサブコンのS社のコントロールルームを見学した。コントロールルームといってもパソコンが並んでいるだけの部屋で、それぞれのパソコンから全米各地の風力発電所の監視制御ができる。夜や土日はR氏の自宅からインターネットを通してやっているとのこと。日本と比べてかなりの割り切りだ。コスト最優先なのだろう。画面を見るとほとんどの発電所が定格の100%を超えての運転でしかも出力が一定している。これであれば風力も美味しい商売になるだろう。うらやましい感じだ。

 帰りは途中砂漠の中のアウトレットモールで土産を買う。全米一の大きさらしい。ブランド物は興味が無く、ブランドの名さえよく知らないので、適当に買う。後で日本に帰って見てみるとかなり安かったということが解り、もう少し事前に買う物を調査しておけばよかったと後悔する。

 夜は、150kmほど返ったところにM社の本社事務所があり、そこの近くの日本料理店で食べる。結構本格的な日本料理で、客も多い。入り口で、シカゴかボストンでやっているプロ野球の試合をテレビで流していたが、録画放映とのこと。あらためてアメリカの東西の広さ、時差を感じる。
 そこからホテルまで60km、タクシーで送ってもらう。四国で言うと、徳島のホテルに泊まって松山で見学、高松で食事して徳島に帰る、といった距離である。どうもこちらの距離感はスケールが違うみたいだ。

 本日で無事公式日程を終了した。とにかく疲れたが、とりあえず出張報告は書けそうだ。明日あさっては今回の旅の最後の地、サンフランシスコだ。

posted by ミスタースージー at 21:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 700年遅れの西方見聞録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月16日

北米紀行16

霧の都サンフランシスコへ(’03年10月17日(金))


 

 七時一五分にホテルをチェックアウト。こちらに来てからいつも朝早いチェックアウトである。タクシーでLAX(ロスアンジェラス国際空港)まで行く。たいそうかすみがかった天気なので、スモッグかと運ちゃんに聞くと霧だそうだ。海と陸地との気温差で朝はいつもこうだそうだ。ああ霧の都ロスアンジェラス?。気のよさそうな運ちゃんで、へたくそな英語で会話する。半分以上判らないのに何とか話になるのがおかしい。

 空港に着くと、建物の外にバッケージのタグをつけるところがある。ピッツバーグと同じだ、学習効果を発揮し並んでいると、自分の持っているチケットはペーパーチケットなので中のカウンターにいけと言われる。ここでも、電子チケットでないので奥に行けといわれる。奥に行って、そこでやっとチェックイン。バッケージチェックでは、案の定スーツケースを広げられて中まで見られる。でも、ピッツバーグのことを思えば緩いチェックであった。

 そこでごつい黒人の係員に、あれこれ聞かれる。NoかYesかで答える質問だというのは解ったが、早口で質問するので、どちらで答えれば良いか解らない。つい適当に答えたが、もし間違っていたら奥に連れ込まれてさんざん絞られていただろうと思うと、後からゾッとした。

 飛行機はUAのB757だ。これも日本にはない機種で興味がそそられる。席は非常口の窓側。となりはUAのパイロットらしき人物。アテンダントから非常口の開け方などの説明を受ける。例のごとくあまり理解できなかったが、最後に私の言うことが判りましたかと聞かれた。そこだけは解ったので、YESと言うと、少し斜めにうなずいてから去っていった。

 その後、「非常口にお座りの方は非常時にはお手伝いいただきますので、アテンダントの指示が判らない人は席を替わってもらいます。」と書かれたペーパーがシートポケットにあるのを見つけた。さっきの微妙なうなずきはこれだったのか、危ういところだった。
 アテンダントの動きを見ていると何となくだらけている。アメリカ人気質かもしれないが、エアカナダやUSエアウェイズよりも随分と質が落ちる感じがする。

 20分遅れの出発であったが、定刻に着く。サンフランシスコを楽しみたくてバッケージクレームへも一番乗り。だが、いつまでたっても荷物がでてこない。
 30分ほど待ってようやくでてくる。どうりで一緒におりてきたみんなが、ゆっくり歩いて来るはずだ。だれかがとなりで「サンフランシスコはいつもこうだ」とぼやいていた。今日からはオフなので、タクシーを使わず倹約してバスで市内まで行く。小さなコミューターバスで、中国人ドライバー。客は自分のほかには一人だけだ。13$のところをチップ込みで15$払うと超ご機嫌。チップとはなにか、を考えさせられる旅だ。

 ホテルでチェックインを済ませてから、近くのユニオンスクエアに行く。あちこちでカットピザを食べているのを見て自分も食べてみたくなり、店屋を探す。いくつか店があったがその中の一番安い店でピザを買って公園で食べる。その後、おきまりのケーブルカーに乗ってフィッシャーマンズワーフに行く。ケーブルカーの駅の近くでは、バンドやソロの生演奏をやっており、それが実にうまい。数曲ごとにケーブルカー待ちの客にチップをもらいに回っている。ケーブルカーは約30分待ちで人数も多いので結構儲かるだろう。
 フィッシャーマンズワーフをうろうろしたが、ここは日本の観光地とよく似た感じだ。


 

posted by ミスタースージー at 09:30| Comment(0) | 700年遅れの西方見聞録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月23日

北米紀行17

最終日サンフランシスコ観光(’03年10月18日(土))

 今日が、活動できる最終日だ。今まで、途中ではカナダからアメリカへの移動時の厳しいイミグレーション。ピッツバーグでの人種差別的なセキュリティチェック。フライトの遅れとそれに伴う便の変更やバッケージの遅延など小さなトラブル(英語ができない自分には大きなトラブルだったが) があったもののどうにか最終日を迎えることができた。

 朝は、近所のバーガー屋でハンバーガーを食べる。幸いここは、クリッチーホワッチー(クリームチーズかホワイトチーズか)とかウァラライ(白パンかライ麦パンか)とかは聞かれなかったので一安心。でも、当然ではあるのだが爺さんと婆さんが朝っぱらからハンバーガーを食べているのにはやはり違和感がある。

 ゴールデンゲートブリッジに行くためにケーブルカー乗り場に行く。昨日同様長蛇の列だ。30分待ってケーブルカーに乗る。席に座っていると、目の前のつり革に股下の浅いジーンズを履いたラテンアメリカ系の若い女の子が掴まった。よく見るとジーンズの下は紫色のTバックだ。
 自分が席を詰めればその子も隣に座れるのだが、座られると目の保養にならない。思わず席を詰めるのはやめて、前に抱いていたバックを隣に置く。この辺りの反射神経は我ながら鈍っていない。
 が、目のやり場に困るというか何というか。本当は全然困らないのだけど・・・、困ったことにしなければいけないのが、はたまた困ったことなのだ。
 でも、Tバックは別にしても、こちらではやたらこの格好をした女性が多い。若い子だけでなく、今でいう長州小力の中年女性版のような肉のだぶついた年輩のかたも同じである。その場合は、本当の意味で目のやり場に困ってしまう。かといって席を詰めて隣にでも座られた日には目も当てられない。

 ケーブルカーを降りてゴールデンゲートブリッジに行くためにレンタサイクル屋に立ち寄る。申込書にはデポジットがどうたらクレジットカードが云々などと面倒臭そうなことがいっぱい書いている。人もごった返しているので、ひとまず店屋を出て港をぶらぶらする。
 と、漁船のそばで兄ちゃんが「ベイクルーズをやる」と叫んでいる。聞くと1時間10ドルだというしゴールデンゲートブリッジまで行くとのこと。自転車よりも観光船よりもだいぶん安かったので、これに決め漁船に乗り込む。が、なかなか他の客が来ない。そういえば片道か往復かなどは一切言っていなかった。どこかの島でおろされたらどうしよう・・・などと思っていたら、続々に客が乗ってきたので一安心。満席になってから出帆。

 橋の下まで行ったが、どういう訳かそこだけ濃い霧に包まれている。まさに霧の都サンフランシスコだ。帰りに、何とかという映画にもなったアルカトラス刑務所のある島を一周した。こんなところに入れられたらなるほど脱走は不可能だ。そうこうしているうちに無事に港に帰る。片道ではなかった、一安心。

 昼は、フィッシャーマンズワーフでビールとクラムチャウダーをテイクアウトして公園で食べる。公園ではバンドの生演奏。実に絵になっている。すっかり気分はアメリカン。
 でも、そのそばで乞食のような格好の日系人の婆さんがゴミ箱をあさっていた。日本からの移民のなれのはてだろうか。婆さんの乞食というのが哀れで、それまでうかれていた自分になぜか反省してしまう。

 帰りのケーブルカーは、さらに混んでいて1時間待ちだ。そこでもギターの弾き語りをやっている。が、こちらは本当にへたくそだ。でも、数曲ごとに帽子をもってケーブルカー待ちの客にチップをもらいに回る。
 出さない人もいるがほとんどの人は出している。アメリカ人は、もっとドライかと思ったが、日本人と同じ感じで、隣の人とこそこそと話してから渋々小さめのコインを出している。自分は、英語が判らないし、チップという習慣も知らないので、なにをしているかさっぱり理解できない。だから、チップは出さない。
 と、突然だれかが「へたくそー、止めろー」と叫んだ。そうすると公園の方にいた黒人たちが集まってきて、文句を言った奴をぼこぼこにして「かえれー」と言い返していた。善意の黒人か・・・、ではないだろう。へたくそミュージシャンのヒモに違いない。ケベックシティでも偶然に同じような身障者のへたくそミュージシャンのヒモを見た経験もあって、興ざめ。少なくともチップを出さなくて正解だった。

 明日は出発が早い。夕方ホテルに戻り、パッケージングをすましてから、早めに寝る。

 


posted by ミスタースージー at 14:26| Comment(0) | TrackBack(1) | 700年遅れの西方見聞録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月30日

北米紀行18(最終回)

 やっと最後の日の日記を書くことができた。途中面倒くさくなって何度かやめようかとも思ったが、まがりなりにも非日常の半月間を記録にとどめることができた。自己満足ではあるが、やはりうれしいし、ホッとした

いよいよ帰国日(’03年10月19日(日))

 いよいよ帰国の日だ。絶対に寝坊は許されない。そう思うと緊張したのか夜中に何度も目が覚める。4時に目が覚めたときに起きることにした。眠い。

 5時30分にチェックアウトしタクシーで空港に向かう。昨夜フロントで5時半にタクシーに乗りたいのだが大丈夫かと聞いたら予約なしでよいとのことであったが、外には1台しか待っておらず危ないところだった。エアカナダでバンクーバーに行きたいというと、運ちゃんは、国内線のターミナルだと言う。眠たいと言うと着いたら起こしてあげるよと言われたので、甘えて居眠りをする。良くも悪くも海外にいるという緊張が薄らいできている。すくなくともタクシーの運ちゃんには今まで悪い印象はない。


 国内線の乗り場に着いたのだが、どこで出国審査があるのだろうか。トロントでのイミグレーションのいやな感じを思い出す。
 空港では簡単なセキュリティチェックのみだ。それもいままでの空港に比べずいぶんと緩やかだ。今日からはエグゼクティブクラスだということも関係しているのかもしれない。
 バンクーバーまで2時間と少し。飛行機はすいている。キャビンアテンダントは男性3名のみ。これにはびっくりした。日本ではクレームものだろう。タクシーの運ちゃんも言っていたが、新聞をみるとバンクーバーはかなりの水害の様子。そういえばテレビのお天気番組でも、ここのところ雨のラインがいともバンクーバーの上にあったが、そのせいだろう。予想通りバンクーバー上空は雲が多く、時折隙間から見える川も茶色い水が流れていた。

 結局アメリカ出国審査はどうなったのだろうと思っていると、バンクーバー空港で係りの人に出国審査の用紙を渡されて、これもエグゼクティブクラスのおかげか、わざわざエレベータで国際線のロビーまで案内してくれた。それであっけなくアメリカを出国したことになるようだ。ここはもうアメリカでもカナダでもない国外なのだ。あとは日本行きの飛行機に乗るだけだ。

 せっかくのエグゼクティブクラスなので、エアカナダのラウンジでくつろぐ。韓国産のカップラーメンをおいてあり中国人らしき人が食べている。それを見て自分も、欲しくなり食べてみたがとにかく辛い。でも周りをみると結構白人たちも食べている。
 また、ラウンジのあちこちで初対面の外人同士が挨拶をし、会社のパンフレットなどを交換している。少しだけワールドワイドのビジネス社会をみた感じだ。日本人はなかなかそのようにはいかないだろう。

 乗り遅れたくはないので、早めにラウンジをでて出発ゲートに行く。が、大阪行きの案内がない。しばらくするとゲート変更のアナウンスがあった。
 あらためて指定のゲートに行くと日本人の団体客がたくさんいる。ゲート近くの売店で、おじさんの団体が使い残したコインで買い物をしている。「まけてくれへんか」と大阪弁でまくしたてていて、店員も圧倒され、たまらずにまけていた。すると「おおマイフレンド、マイフレンド」と言っておじさん達大喜び。
 隣では、おばちゃん連中も値切るのに大はしゃぎしており、金を払ってから後で「ほんまは、いくらだったん?」とレジの女性に、これまた日本語で聞いている。自分がカナダでどれくらい値切ることができたか、その実力を確認したかったらしい。とにかくそのパワーに圧倒される。
 今は低迷を極める大阪だが、日本で21世紀を生き抜けるのは東京ではなく確実に大阪のこのパワーだろうと予感させられた。

 自分もコインがたくさん余っていたので、おみやげにトイレの洗面所の販売機で特大のコンドームを買う。帰国後これを誰かに渡したののだが、渡した相手をうっかり失念してしまい感想を聞けずじまい、残念。(たぶんダブダブだったことだろう。 私?私は、自信喪失まちがいないので、使っておりません。)

 飛行機は今まで見たことのないスラーアライアンス塗装のエアカナダ機。20分遅れで13時5分出発した。ここでもスムースでゆったりした離陸だ。行きとは異なり、機内ではアテンダントも日本語で対応してくれる。もう日本に帰った気分になる。

 食事の後ワインを飲みながら、この旅を振り返った。たかだか2週間あまりの海外ではあったが、何もかもが初体験で、いろいろと得ることも多かったと思う。このようなチャンスを与えてくれた上司と、セッティングの手伝いをしてくれたM君、途中会議をアテンドをしてくれたKさん、出張中なにかと仕事のしわ寄せをかぶってくれているだろう同僚、部下に感謝である。

 そんなことを思っている内に、機内のモニターが日付変更線を超えたことを知らせた。もう少しこの旅にひたっていたいが、頭のスイッチを日常モードに切り替えるために、腕時計の針を日本時間に戻すことにする。
 ワインの酔いもまわってきた。一眠りすることとしよう。つぎ目覚めればそこは日本。どうやら無事にこの旅も終わりをむかえることができたようだ。


posted by ミスタースージー at 00:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 700年遅れの西方見聞録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
ブログランキングに参加しています。いいかなと思ったら 人気blogランキングをクリック願います

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。