2005年07月16日

北米紀行3

バンクーバー到着(’03年10月4日(土))
          (WDT(西部夏時間:日本時間より16時間遅れ))



 定刻より少し早めにバンクーバーに着く。着陸もスムースで、逆噴射も余り強くかけない。ただし、離陸時とは違い、食器、グラス等に加え、ヘッドホンまでも、安全のためと言って回収していった。


 ボーディングブリッジに降りたとたん火災報知器が鳴ってずいぶんと待たされる。その上、入国審査のところで、台湾か香港の団体がいて、ずいぶん入念に審査されている。結局1時間以上待たされたが、自分の時にはおきまりの入国理由、滞在期間、ホテルを聞かれただけ、背広姿の男ひとりで「観光」と言ったので少しいぶかしげな表情をしたが、1分もかからず通過。税関も書類を渡しただけでノーチェック。何より、バッゲージをタグと照合なしで、勝手に持っていけるシステムになっていろことにびっくり。日本の空港とは大違い。関空行きのバスでさえタグを照合されたのに。こちらの方はバッゲージには貴重品は入っていないということが常識となっていて、そんなのものを持っていく輩はいないということかも知れない。


 バッゲージ受け取りの出口を出ると、看板を胸に持った出迎えの人がたくさんいる。中国人らしき人がたくさんいる。白人よりも多い感じ。サーズの時も中国からカナダに飛び火したし、香港返還の時、香港のものが相当たくさんカナダ国籍を取得したということも聞いたことがあるが、中国とカナダは案外近い関係なのかも知れない。でも先ほどの、入国審査を見ているとカナダ側はそれを好意的には思っていないのかも知れない。 



 カナダドルのキャッシュを持っていないので、まずは両替所を探す。ブースはすぐに見つかったが、係員が不在で一〇分程度待つ。二〇〇$を両換しようとしたが、二万円からの両替となった。円は紙幣しか扱わないので、円の方を区切りのよい千、万単位にしなければならない。考えれば当たり前。



 

 無事カナダドルのキャッシュを手に入れたので、ダウンタウンのホテルに向かう。まだ午前中なので急いでも仕方ない。バスで行くことに決めて乗り場を探す。すぐに見つかったが、ホテル毎でルートが違うらしい。係りにホテルの名前を言うとルート2のバスに乗れといわれ、往復券を買う。しばらく待って、バスに乗るが、エアポート専用バスということもあって、旅行客だけなので治安等は安心。ただし、バッゲージを運んでくれた運ちゃんにチップがいるかどうかが、今の最大関心事である。
 ホテルまえでは大きな声でホテルの名前を言ってくれたので、降りる準備をする。ここで降りるのは自分だけなので、チップをどうするか迷ったが、降りるときも荷物を持ってくれたので、一$を渡す。と、とたんににこっとして肩をたたいてきた。ひょっとするとみんなは渡さないのかも知れない。と、少し後悔。
 ホテルでチェックインする。一二時を少し廻ったところなのでまだできないかとも思ったが、あっさりOK。ひょっとしてと思い、日本語が出来るかと聞いてみたが、申し訳なさそうに「No」と言われた。嫌みな感じの言い方ではなかった。さすがホテルマンだと思った。が、アメリカでも一回同じことを聞いたら、非常にきつい感じで「No」と言われたこともあり、それ以降は聞かないことにした。
 このホテルの支払いはJTBのクーポンのはずなのに、クレジットカードを確認された。いぶかっていると、ビデオ、電話などの支払用で、使わなければ課金されないといわれた。時差ぼけがひどいため、部屋に入ってから、目覚ましをセットし二時間ほど寝る。これ以上寝ると、昼夜逆転すると思い、フロントで貴重品をセーフティボックスに預けて町に出る。そのときフロントの女性に、「この鍵をなくすと弁償させるぞ」的なきつい口調で脅された。(口調はきついが実際内容的に厳しく言われたかどうかは、自分の英語能力では不明)。


 腹が減ったので、適当にファストフード店で、ピザを食べる。あまり旨くはない。
 その辺りの街をうろついてからホテルに帰る。荷物の整理やパソコンの設定をして、夕飯にする。この出張で三分の一程度は一人での夕食となるが、しかたない。でも、ひとりでの食事はやはり楽しくはないし、一般のレストランだと言葉が心配なのでホテルのレストランですます。味はアメリカ風の大味な感じで、やたら量が多いのには閉口。依然どこかで、アメリカの旅で食べ物が口に合わずオレンジジュースしか受け付けなかったと言う話を聞いたことがあるが、自分もそうなるのではないかと少し心配。
 部屋に帰り、借りてきた海外携帯から自宅と松山の実家に電話をする。DOCOMOなどより音がよいのにビックリ、時間遅れはあるが、これはむしろ国際電話っていう感じで趣があってむしろいい感じ。
 一〇時三〇分、時差ぼけを残さないように無理矢理起きていたが限界。寝ることにする。
 何もかもが初めての四六歳中年男の初夜が、こうやって暮れたのであった。



 

posted by ミスタースージー at 20:51| Comment(0) | 700年遅れの西方見聞録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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