2005年09月24日

北米紀行6

テクニカルツアー(’03年10月7日(火))


 朝7時前に目が覚める。早い目覚めだがぐっすり眠れたせいか快調な目覚めだ。もう時差はとれたようだ。
 7時40分。レジストレーションを行う。これで、とにかくシンポジウムには参加できる。今日のテクニカルツアーも申し込めていた。その後Kさんと朝飯に行く。ホテルのレストランは高いし、込んでいる。メトロの駅に行く途中の地下2階に食べるところがあるという。こういう情報は、旅慣れないものが、しかもその土地で初日という状況では非常にありがたい。
 行くと、やはり店の人はフランス語。若い兄ちゃんで顔もラテンフランス系。ゴクミの旦那で、F1レーサーだったジャンアレジに似たスケコマシ顔。エッグドマフィンを頼むと、「ホワィッチー、クリッチー」と聞いてきた。ホワイトチーズか、クリームチーズかと言うことらしい。こういったやりとりを一づつ経験しないと英語はだめなのだろうと思う。
 9時にテクニカルツアーの集合だ。20数人くらいあつまっている。今日はカナダにきてはじめての快晴だ。やはり天気のいいのはよいものだ。こんな日にツアーにでられるのは最高だ。ハイドロケベックの人が案内してくれてバスまで行く。その前に事務局の人からパスポートを持って来いと言われていた。セキュリティ面からだろうが、やはり911のせいだろう。
 バスに乗り込む。バスといってもシェビーバンの後ろが長く広い程度のもので結構古い。こちらに来て昨日のタクシー以外新しい車に乗っていない。車は道具と割り切っているのだろうと思う。


 

 目的地まで40分くらいかかるらしい。走り出してすぐセントローレンス川が見えてくる。美しい川である。それにも関わらず送電線が無造作に続けざまに3ルートも並行してわたっている。1ルートは川の真ん中に脚を立てて送電線をとばしている。それでもスパンは非常に長く1km程度はありそうな感じである。隣でKさんがセントローレンス川は美観にうるさく送電線も難しいと言っているが、これを見る限りそうは思えない。ただ、最後にみた1ルートはモノポールを使っていたし、モントリオールの街で見かけたものもモノポールであった。それも日本で見かけるものよりも美しく感じる。構造的にも異なるのかもしれない。昔は景観にもうるさくなかったが、最近になってうるさくなり、近年建てるものがモノポールなのかもしれない。


 途中高速道路を行く。料金所がないのでどこからが高速でどこまでが一般道かよくわからない。高架のところが高速で下が一般道といったところか。その高架であるが、よく見るとコンクリートの打ち方が極めて雑に見える。日本の高速の脚はそのまま打ちっぱなしの建築の内装にも使えるようにきれいであるが、ことらはそのような美しさは追求していないのであろう。さらに、アルカリ骨材反応だと思うが至る所でコンクリートが剥離して鉄筋がむき出しになっている。ひどいところでは鉄筋の先が5,6本高架の底から、斜めにぶら下がっているのが見えるところもあった。これだけ剥離していたら、きっと今までに車にも当たっているのではないだろうか。このあたりが大陸のおおらかさなのだろうか。(これについては、その後アメリカも含めていろんな都市をみたが、モントリオールのようにひどいところはなかったので、きっとアメリカ大陸でもこれは酷い方なのだろう。)


 予定通り40分程度でB発電所に到着する。ホテルで説明をしてくれたH社の若い社員の人は、バスに乗っていなかったので後ろのバスに乗ったのだろうと思っていたら、どうやら自分の車でバスを先導していたことがわかった。最初に、見学者用の歴史館に案内されコーヒー、トイレ休憩の後、ビデオ映写があった。トイレであるが、日本でもおなじみのペーパータオルが備えられているが、日本のように1枚1枚に別れておらずトイレットペーパーと同じくロールになっており、うまくちぎれず苦労をしていると後の人がこうやるんだとばかりさっと上に引き上げてカッター代わりの金属の縁できれいに切っていた。こういうことまで初体験。一通りなれるまでには時間がかかりそうだ。ビデオの内容は、ここの発電所の紹介であるが、幅1km長さ25kmの運河を掘って作ったという。日本では考えられないスケールである。今から80年も前のことだからできたのかもしれないが、今ならカナダでも環境問題等から不可能だろう。現に、その若い係の人が言うのに、環境問題で開発がストップしている計画も3つほどあるらしい。あといろいろと説明してくれたし、見学者から質問もでていたが、残念ながらあまり理解できず。わかった範囲は会社の報告書に記述した。見学者のメンバーであるが女性も多数いて、最初はみんな専門家かと思っていたが、そうではなくセミナー出席者が奥さんを連れてきているらしい。会議の案内にもコンパニオン料金とか、コンパニオン向け観光とかの説明があったので海外ではよくあることかもしれない。だれかの奥さんらしい人が、おもしろい質問をしていた。「発電機を通った魚はどうなるのか」だったかと思うが、係りの人は「生きて通ってまた、隣の水路を上っている」らしきことを答えていた。その後、発電機室、同屋上の見学を実施した。セキュリティ面からカメラ撮影は禁止。なぜか大きな荷物もだめとのことだった。以下に、発電所の概要を述べておくことにする。



○発電所出力は、167万3千kW。現在ではH社で第5位の出力を誇り、発電電力量では1997年には127億kWhを記録し同第2位。
 1979年にL第2(現R発電所)ができるまでは、H社で最大の発電所であったとのこと。
○1929年に、前述の2つの湖の間を、長さ25km、幅1km、深さ9mという壮大な運河で結び、運河の最下流川にダム(落差24m)を建設。
 ダムと並列して、船を通すためのバイパス用の水路あり。それには水位調整用に3段の水門があるとのこと。



○発電所はダムの上に乗っかるかたちで、幅はダムの幅と同じく1km強あり、端からでは向こうの端まで見渡せない程。作業員の移動も所内をゴルフ場のカートのようなもので移動している。
○発電機は3期に分けて作られた。第1期はBP社が1932年から1948年にかけて14台を建設。第2期は、H社が1948年から1953年にかけて12台。第3期は1961年に10台を増設。
○発電機は、補助用の小型発電機2台を含めて、合計38台。銘板で見ると、CanadianGE製であった。
 エキサイタはほとんどが静止式であったが、ガバナーは、一部に教科書にしかでてこないような機械式(フランス製)を使っていた。水車はフランシスとカプランの両方があるとのこと。



○現在、設備老朽化に伴い16億CA$(約1400億円)を掛け改修中であり、260人が従事している。作業場にたばこの吸い殻が転がっているなど、あまり環境管理が出来ているようには見られなかった。





 次に行くところはシャトウゲイ変電所で、ここにはBTBもあるそうだ。その前に、昼食。湖のそばの小さなレストラン兼ホテルのようなところで、ビュフェ形式の昼食であった。一応メニューを持ってきてくれたが、フランス語だった。一緒のツアーの人が英語のはないかと尋ねていたが、つれなく「ノン」といわれていた。やはりここはフランス語圏だ。同じテーブルのなかは私とKさん以外すべて外人(ほとんどがヨーロッパ系)となってしまい、なかなかやりにくい感じであった。もし、私一人で参加していたらどうなっていただろうと思うと、ぞっとする。
 でも、このような田舎のレストラン一つとっても、建物といい、回りの景色といい、絵になる風景だ。
 食事も終わり、次はS変電所だ。ここは、B発電所から車で20分程度モントリオール寄りの地点に位置する。変電所の入り口で、日本と同じように、電話でどこかに連絡してから入所した。中では変電所の所長らしき方が説明してくれた。英語は得意ではないとのことだが、見学者からはお上手ですよとの声がかかっていた。BPSの説明をしてくれた若い方も英語は普段使わないと言っていた。いずれにしても当方のヒアリング能力からすると、みんなうまく聞こえる。ここでは、セキュリティーのためといって、見学者用の服まで着せられて構内見学をした。全面撮影禁止ということにはさすがに見学者から文句がでて、変電所建物前で、記念撮影だけは許可がでた。
以下に、S変電所の概要を述べる。



○1000MWのBTBを有する変電所。H社の系統とNY州の系統を765kVで連系している。変換所はその他320kV,120kVライン構成からなる。B社1978年に製作。


○潮流は夏はケベック州からNYへ。夜間と冬は逆向き。夜間はNYから安い電力を買い経済揚水を実施するとのこと。見学時BTBは待機運転中であった。


○8月14日の停電時はBTBが停止してNYとの連系を切りはなすことで、ケベック系統をドミノ停電から守ったとのこと。


○作業服を着て、バスで構内見学を実施。全体的にゆったりとしたレイアウトである。内柵もなし。
 シャントリアクトルが、火災による取り替えのため、1相だけ新しかった。また、トランスについても漏油があり、油が地面にまでしみているものがあるなど、保守状態はあまりよいものとは言えない。



両設備を見学しての感想を以下に述べる。


○両設備とも古い設備であるが、案内してくれたH社の方は非常に自信を持っておられた。見学しているときには単なるプライドと強がりかとも思ったが、その後、カナダ各地の文化遺産も見学したが、日本とは木の文化と石の文化との差とも言われるように、とにかく古いものを大切にしていることがよくわかった。
 この文化的精神が、工業製品、エンジニアリングの世界でも例外ではないのであろう。日本においては、ともすれば、新しいものを好んだり、古いものを卑下する傾向もなくはないが、保守に軸足をおいた取り組みを進めていく必要があるなか、設備を愛するという面で考えさせられるものがあった。



 夕方、ホテルまで、バスで帰る。夜は、カクテルパーティだ。会場に行くとすでに大勢の人が、ワイン片手に談話している。前方では、生バンドの演奏もあり、それなりの雰囲気。でも、なかなかワインが出てこないし、食べ物も少ない。日本人が多く、英語が出来るものでも日本人同士の方が楽なのか、外人の中に知り合いがいないのか、理由はよくわからないが、自然日本人同士が固まっている。
 HK社からのG研修生のHくんが苦しそうに椅子に座っている。同じ研修生仲間のHD社のK君がホテルまで連れて帰ると寄ってきた。アメリカに研修に来ているものでもやはり、緊張するのだろう。それを隣で心配そうに見ていた女性に、「彼がホテルに連れて帰る」といったあと2,3言話をした。フランスのコンサル会社で制御システムのソフトをEDFにも納めていると言っていた。が、それ以上はよくわからなかった。カクテルパーティのあと日本人5人(HI社Ko氏、CH社S氏、D研N氏、K会M氏)と近くのVIRGASというレストランに行きそこですしを食う。Ko氏の知っている店であったが旨いし、安かった。

 そこで、チップの話になったが、海外経験が多いものでも、難しいらしい。初めはファストフードで払ってバカにされたり、ヨーロッパ人はサービスが悪いと全く払わないが、アメリカ人は最低限は払うとか、いろいろらしい。こちらに来て人にサービスを受けるたびにチップを気にしていたが、みんな同じだな、と思うと楽になる。(その後、いろんなところで、外人でもチップを気にしてポケットの小銭を事前に確認している場面を見かけたので、ああこんなものかなと、少し安心した)


posted by ミスタースージー at 21:15| Comment(0) | 700年遅れの西方見聞録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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