2005年10月22日

北米紀行7

シンポジウム初日(’03年10月8日(水))


 オープニングセッションが始まる。司会は主催者のひとでたぶんフランス人だろう。抑揚が大げさで歌でも歌うような感じで話をしている。ここまでおおげさだと気取ってるととるのではないかと感じるほどであるが、格調高くするとこういう感じなのかも知れない。昨日のカクテルパーティでも感じたが、なにか、サロン的な雰囲気が強い会議だ。Kさんに聞くとCIGRE自身がヨーロッパ人のサロン的なものであるが、ワールドワードのイメージを出すため諸外国も入れているといっていた。メーカーとしては、そのような会議体であってもそこで規格が決定されるので影響が大きいため着目しているとのこと。
 はなからわかっていることだが、話している英語があまりわからない。簡単なところは理解できるのだが、ジョークなどはさっぱり判らない。もっともこれは英語ができても、社会的背景、近々の話題等を知っていないと笑えないものが多いらしい。
また、昨日から少し感じていたことで、英語ができない自分のひがみからかも知れないが、日本人の”国際会議に来ているもの同士の優越感の共有”的なものが見え隠れしている感じがする。ひょっとすると日本では、ビジネスの第一線ではなく研究畑として企業の中で隅においややらているのかも知れない、と思ったりもする。でも、やはりひがみ根性か、と反省。


 昼は、ビュッフェ方式の昼食。やはり一皿にごちゃごちゃ載っていると食べにくい。特に汁物があるといやな感じである。外人は気にせず山盛り注いでいる。
 日本人同士が同じテーブルになったので名刺交換する。W大学のI先生など有名な方も来ている。委員会のほうに来たのかと思ったが、話を聞くとどうもそうではなくこのシンポジウムのためだけに来たようだ。でもこの方は、すり込みというか思いこみというか、ある程度のところで自分の中で論理を組み立てた以降は人の話を聞かない感じがする。だいたいにおいて学者はそのようなところがあるとは思うが、このような方が自由化議論の中で発言力を持っていると難しいこともあるかもしれない。


 午後、一応個別セッションを聞く。ここからはいくつかの会場で分科会的はセッションであるため、一人で聞いているので、わからないところがあるとちょっと隣に聞いてみるということもできない。また、内容も午前中に比べ専門性がたかい。そのため、午前中より理解度が落ちる。途中まで聞いてあきらめてビジネスセンターでメールチェックをする。バンクーバー以降、いろいろパソコンをいじってみるがどうにもならない。だんだん酷くなる感じだ。あきらめてビジネスセンターを活用する方が早いと割り切ることにした。
 場所をコンサージュに聞く。コンサージュとは、ホテルでいろんな相談、たとえばおいしいレストランはないかとか、いい観光地はないかとかを聞くところらしい。語源はフランス語のようだ。
 地下1階におりて、係りの人とやりとり。自分がそう思うだけかもしれないが、これは完璧にうまくいった。その前に、昼、T/Cをキャッシュに交換するのも、フロントでスムースに英語で対応できた。こんなことの一つ一つが単純にうれしく思う。
 そんなこんなで夕方を過ごしていて、みんなと夕食に行くチャンスを逃してしまう。K氏も今日は用事があるらしい。そういえばこちらに来てK氏と夕食を一緒にとっていない。まあ、英語が不慣れな者のアテンドをしていますという顔でみんなの前でいられるよりはこちらも良いが、食事は一人は寂しい。


 仕方ないので、近くを回る。朝食をとった地下も全部しまっている。国鉄に相当する汽車の駅の近くに行くが、なぜか閑散としている。一軒ファストフードの店があったのでちょっとわびしいけどそこでハンバーグを食べることにする。隣のレジでたまたま日本人の若い女性が「ナンバーツーを一つ(なぜか日本語)」といいながら指を二本立てている。案の定、なかからでてきたのはハンバーグ二つ、しかもNo3のセット。どうやらツーをフランス語の3に、指の2本を個数に解釈したようだ。その子も泣きそうな顔をして、半分日本語で文句を言っているが、係りの黒人の女の子たちはどうやら英語もうまく話せないらしい。フランス語対日本語の戦いだ。日本人の娘はかわいいので助けようとも思うが、こちらとて自分の注文で精一杯。その娘には悪いが、チャイニーズの振りをして無視してしまった。

 疲れて、ホテルに帰り、ベッドに倒れていると知らぬ間にうとうとしてしまった。そこにハウスキーピングの女性2名組が、ミネラル、氷、チョコをもってやってきた。昨日もそうであるが、結構遅い時間に持ってくる。そのため、2人組なのかもしれない。自分なりに、「ちょっと寝てたよ。ごめん」という感じのことを言いながらドアをあけると、えらく恐縮してあやまりながらベッドカバーまで開けてくれた。ひょっとして、きつい言い方の英語だったのかもしれない。


 
posted by ミスタースージー at 21:20| Comment(0) | 700年遅れの西方見聞録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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